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専門家「バカ」の自覚

 今日は、午前中、華光の法座の勧め方に関する疑問点や質問を含めて、相談があった。もちろん、個人の問題もあるので、ここでは触れられないけれど、とにかく、ぼく自身の法座や座談会、そして、華光の今後のあり方が問われる気がして、たいへん参考になった。確かに、最近の華光の法座は、若い人達やお同行さんでも座談の促進役の人を中心に、「カウンセリング、カウンセリング」と、よく言うようになった。別に、今に始まったわけではないが、以前は、先生方を中心に、少数の意識的に学ぶ人達たったのが、40年たって、昨今のカウンセリング(心理)ブームの空気もあるのか、座談会でもかなり浸透しているような気がする。しかし、華光会は、カウンセリングの集いではない。一方では、そのことに抵抗を感じる人たちもいる。座談会が、カウンセリングを学ぶ人達ではないと、関わっていけないような空気を肌で感じて、どことなく、参加や発言に不自由さを感じている方もおられるであろ。そんな方も、特定の人の法座ではなく、みんなの華光のご法座であり、求道者の話を聞くことの大事さも重々意識されているし、ご法にかける態度も、熱心である。これからの時代の要請、コミニケーション大切さもよく了解されているのである。お話を伺えば伺うほど、ぼくが感じていることと、同じことを話されていて、共感するばかりである。しかし、多少、学びの違いも明らかになる。それだからこそ難しくもあるが、ますますもって「よく聞き、伝え合う」ことの重要さを感じた。大切なこと、正しいと思っていることだからここそ、逆に怖い。「専門家バカ」と、自覚しているなら、それはいい。あたらしい気付きがおこれば、かならず失うものがある。よく見えるようになったうぬぼれがゆえに、見えなくなる盲点もあるのだ。しかし、バカがバカを忘れて、「賢者」とうぬぼれるのが、ぼくの自性。その意味でも、法水を浴びることを怠ったら、とんでもない方向にいきかねない恐ろしさをもっている。そんなことなどなど、教えられることの多い3時間だった。

 午後は、「8月の法座案内」の指示などの事務仕事を中心にすごし、夜は、増井自然(じねん)先生の書道教室だったが、8月の「仏の子供大会」の下見のための打ち合わせがあったので、時間をとられて、あまり書けなっかった。まもなく、「仏の子供大会」。参加者不足が気になるところだ。

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コメント

 かりもんさん、ブログ開設おめでとうございます。懐かしい名前ですね。15年近く前のやりとりが思い出されます。今後を楽しみにしております。
 「カウンセリング」かぁ。今や華光で大流行。かなり誤解の多い言葉だと思ってます。正確には、「聞く、伝える」、つまり双方向コミュニケーション学習と捉えた方が良いかも知れませんね。そこから生まれてくる実りのある人間関係、あるいは育ち合う人間関係がとてつもなく奥深い。そんな世界のような気がします。それと、この世界は体験的にしか理解することの出来ない世界だというのもこれまた奥深いです。

投稿: ブディスモ | 2006年7月22日 (土) 00:09

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