真カ研の月例会報告(3)
そして、今月は、「変化への動機づけ」(7頁21行~8頁21行)の章で
◎第2の仮説:「個人はこの関係を利用して成長へと向かう能力を、自己の中に見いだすことができる」
*「成長傾向」「自己実現への衝動」「前進的指向傾向」
すべての個人は、彼の中に、(明確ではないにせよ)、成長していきたいという隠れた能力と傾向を持っている。 適当な心理的環境を造りさえすれば、この傾向は解放され、可能性として止まっているより、姿を表してくる。 あまりにも脅威で無意識に追いやっていた経験も、理解する能力があり、彼のパーソナリティならびに生活への関わり方を、一層、成熟したと見なされるように再構築する傾向をもつことがうかがえる。
*すべてのサイコサラピーは、この傾向に依存している。
すべての有機体、人間生活にみられる衝動=拡張し、伸長し、独立し、発達し、成熟したいという衝動。
→これまで何層もの殻を被った心理的防衛制御の背後に、深く埋められ、存在され否定するように隠れていただけ。→必ず、個人に内在し、解放され、表現される適当な条件を待っていただけなのだ。
というのもであった。メンバーとともに、疑問点や感想を分かち合ったが、メンバーの中から、本文中に「自分自身になる」とはいかなることかという問いが生れたが、まさに、それが、「喜んで、自分の言葉、行動で、内在するいろいろな感情、態度を表現する」(純粋であり、透明であり、統合されている)ことであろう。また、それを「喜んで」他者にも持たせるという、「喜んで」というその表現が新鮮な気がした。
それにしても、簡潔ながら、ロジャーズ理論の核心に触れ、その深い人間洞察と、その経験から導き出された仮説の重み、その真実性にあらためて深く学ぶ思いがした。ともすれば、「フン、フン」とただ聴いて、放任的な楽天主義の誤解をうけることもあるが、実は、ある一定の促進的な心理的態度を持つ雰囲気が備わるという前項が生きており、それを支える深い人間尊重、温かいまなざしがあるのである。それは他者にのみ向けられるのではなく、私自身が支えられ、自己尊重されていくのである。いつものことであるが、ロジューズの本文に直接触れれば触れるほど、その大きな共に、勇気をいただく。それを教えてくださった、西光先生の文章にも同様であり、その理想の高さに感銘し、胸が熱くなるのである。
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コメント
家のパソコンをインターネットにつなげよう、つなげようとは思っているのですが、なかなか動けません。ので、学校のパソコンから。この間の研究会は、久々に参加しましたが、結論は行ってよかったです。自己実現については、ちょうど疑問に思っていたことでした。「自分が自分になる?」いうのもおかしな感じで。自分が、「自分になろう」とすることは「自分から離れてしまう」ように感じていましたが、質問してみてから、研究会の方々に聞いていただき、受け入れてもらって、「自分になろうとしている」自分の姿を改めて見させてもらったというか、すこし自分を受け入れられた感じがしています。「自分をすべて受け入れたい、受け入れなければ」という思いから、「それも自分なんやなー」と思えたというか。「喜んで」というわけにはいけませんが(笑)研究会で話題になった、「自己実現」を強要してしまう風潮も、生き辛い感じがしますね。「自分らしさ」に悩んでる若者は多いと思います。僕を含めて(笑)「心の専門家はいらない」の内容についても疑問が整理できたら、また、質問します。みっちー
投稿: みっちー | 2006年7月21日 (金) 15:54
みっちーさん
不思議なご縁で、ここまでたどりつかれましたね。
ぼくは、あくまで「カウンセリング」は「カウンセリング」、「浄土真宗」は「浄土真宗」というスタンスですが、でも、お互いが補い、響き合う世界もあるんじゃないかという瞬間もあります。まあ、この点はおいおい。
「心の専門家はいらない」のコメント、楽しみにしています。
投稿: かりもん | 2006年7月21日 (金) 22:10