明日から「壮年の集い」
明日から1泊2日で、華光会の「壮年の集い」である。
北海道や東京で開催されたこともあるが、だいたい京都の華光会館で、今回が17回目。もともとは、仏教青年会の卒業後、自分の居場所をつくるために始まったものなので、当初は、30歳から50歳台と、一般の寺院の壮年会にくらべるとかなり、若手にも開いていたが、最近は、30歳前半のものは仏青を中心にしてもらって、少し年齢も後ろに幅広く持たせている。
土曜、日曜になることが多かったが、今年は、日曜、月曜だ。ということで、午前中は、土曜日にしては、珍しく行事がなかったので、週一度通っている、「自力整体」の教室で、レッスンを受けてきた。最近、長女の元幼稚園の保護者に勧めたら、けっこう始める人が多くて(贅肉がとれるというと、みんな乗って来るな)。この教室は人気で、手狭だけど、主婦が多い分、土曜日は空いている。本格的に初めたのが、7月からなので、ちょうど丸5年たったことになる。まあ自力整体のことはおいおいと語ることになろうが、どんなに多忙でも(いや多忙の時ほど)、毎朝20分間の呼吸法と、最低週1度の90分は、自分の身体を整え、内面に目をむける、ぜいたくな時間をすごしている。今日は、伏見の大手筋の教室だったので、終わったあとは、いきつけのカフェで、ランチをして(ここのコーヒがうまい。レギュラーでなく、エスプレッソにしてもらいってる)、金子大栄著の「四十八願講義」を読んだ。碩学の大先生、どうも凡人のぼくには理解しがたいの感がある。
で、帰宅して、法話の教案を考えることにした。素材はいろいろありすぎで、まだ迷っている。ひとつは、先日、お断りした葬儀の依頼と、死んだ人ではなくて生きた人中心に集いであるテーマで、またひとつは、子供大会のテーマの「人間の値打ち」にからめること、さらにもうひとつは、東京支部のNさんのかかれた案内文と、ぼくの華光誌の誌上法話にからめて、「よき人」というテーマもある。いつもそうだがら、一時間程度で、濃厚で盛り沢山すぎでも、聞き取れるのは、7%すぎないのだから、もっと材料を絞るべきべきだけれど、いつも、欲張りすぎるきらいがある。とはいっても、連休前に、会長(雑用係)をやっている町内(自治会)の配りものや集金もあって、教案は、ボチボチといったところ。まあ、明朝考えることにして、今回はわりと楽天的。いつもここから直前に焦ることもおおいけど、絞り込む作業なので、わりと安心しているのかな。
夜には、京都支部を中心に、お掃除のお手伝い。8名の方が頑張ってくださった。そのあと、高山のKちゃんたちと、分級座談(グループでの話し合い)ための、メンバー分けをした。壮年の集いは、法話よりも、座談会(少人数のグループ)が中心でなる。でも、そのわりに今回は、60名以上の参加があって、四グループにすると、16、7名が1グループになってしまう。少人数で、じっくりとはいかないようだけれど、それぞれ、初めての方も多くて、名札を観ているうちには、こころは、スタートの合図が待ち遠しい。 明日は、夜行バスで、早朝6時30分に世話人1名が到着。11時から、世話人の打ち合わせだ。お世話のみなさん、よろしく。
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