真カ研の月例会報告(2)
これからは、本文の要約。これでけなら、面白味ないけどれね。まあ一応。
「関係(The Relationship)」 (5頁16行~7頁20行)
◎前回の仮説「もし私が、あるタイプの関係を設定することができるなら、その相手の人は、その関係を使用して、自分の中に成長の方向に向かう能力を見いだすであろう。その結果、変化のプロセスと人格的発達が起こるであろう」(P5. L10)では、この 「あるタイプの関係とは」どんな関係かが述べられるのだが、それを要約すると、以下のようになる。
1)純粋、真実性(genuine reality)
*深層、無意識レベルと、みかけの外見の態度の一致-出来る限り自分自身の感情を知ることが必要だ。*自分自身になることを喜ぶ。喜んで、感情、態度を表現する。
→その関係は、真実味(reality) をもち、その態度によって、彼も内在する真実性をうまく追求できるようになる。
私の態度が十分満足できない、よい関係に導き得ない時ですら、このことが正しいとわかった。純粋であればあるほど、この関係は援助的である。
2)受容(無条件の肯定的配慮)
*無条件に、ひとりの、価値ある人間として、温かい配慮もつこと。
ひとりの独立した人間として尊敬し、好きになりことは、「喜んで、彼に自分の感情を思うままにもたせることを意味する」
否定的であろうが、肯定的であろうが、過去と矛盾しようが、すべての変動する姿を受容し、認める。その関係のなかで、彼が、暖かさと安定感を感じる。
私が彼を受容し、好きになればなるほど、この関係は援助的である。
3)共感的理解
*「彼がその瞬間に感じた感情や言葉を、そのままの形で共感したい」と感じる時に、この関係は、意味がある。受容と、理解を含まねば、あまり意味がない。
*「自由」:(意識、無意識で)触れたくない自己、その自己探究の困難さ(恐ろしさとか、弱さとか)などの感情や考えを、私が理解した時-彼が見るのと同じように、私も見、現在の彼を受容した時。自己探究したいという気になれば、いつでもという自由である。道徳的、診断的評価は脅威であって、自由ではない。
以上のまとめ
*援助的な関係とは私の側の透明さ(純粋、真実性)(その関係で、私の真の感情が裵表されている)*他人を、自分自身の権利をもった価値ある独立した人間として受容する。
*共感的理解-彼の私的な世界を私が、彼の眼を通して見るような、深い共感的理解。→以上のような条件のとき、私はクライエントの道連れとなり、彼と共に(恐ろしかった)自己探究の道を歩む。それは、彼自身も自由にしてみたいと気になっている。
「必ず」:私が、この態度を持ちつづけ、彼がある程度このような態度を経験することが出来る場合には、「必ず」変化し、建設的な人格的発達が起こる。
というのである。
まあ、こんな程度で。これがもし少しつづきます。
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