初盆

今年もお盆参りが始まった。昨年は、間に寺院布教が入ったが、今年はなく、3連休にもなったので、ゆとりのある日程が組めた。 午前中は、ご近所の同人宅へ。このお宅は、親子共々、丁寧に仏事をされてくださるのが、有り難い。「横川法語」のご法話。泥中の中から、泥に汚されずに咲く蓮の花を、他力の念仏にお譬えになっている。 すぐに戻い大阪に向う。同人宅で、支部法座の会所も引き受けてくださっている。今年が初盆にあたる。遠方からも含め近しい親戚が集まってこられる。なんとかご家族、特に子供さんへのご縁を願われているが、まずは手を合わせてもらい、共に勤行してもらうところから。勤行一つ、称名念仏一つ、初めてならば抵抗もあるだろう。特に、「南無阿弥陀仏」と声に出すことは難しい。簡単に見えても、その意味を知り、そのこころを知り、ほんとうに身につくまでには、知らないだけで、あの手この手のお手間、ご方便があったのだ。個人の...

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命日に

 孫の付き添いで、姉も仏の子供大会に参加してくれた。母から見ると、母-娘-孫-曾孫と、4代が揃ったことになる。  翌日は、父の命日。八周忌になる。8年前の夏も猛暑だった。仏の子供大会に参加して、3日後に倒れたのである。  6月に得度をおえた娘の調声で、家族だけでお参りをする。お「正信偈」の後の六首の和讃は、父の「三帖和讃講讃」から和讃六首と、その意味(意訳)をいただいた。  勤行のあとで、母と姉は、昨年の母の特別講演会の原稿のチェックを念入りにしていた。最後の質疑応答のあたりで、一緒に座る。姉が編集した文章を音読して、訂正する作業だった。文章を目にした時と違い、本人を前に、声に出された文章には重みがあった。母の八十八年の生涯がこめられている。しかも、父の命日にその作業があったことも感慨深かった。60年以上も、父と母の二人三脚での伝道の歩みが、そこにはあった。 そにれしても母の記憶力の良さに...

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夏の仏の子供大会開催!

 たった1泊2日、夏も仏の子供大会を開催した。子供が集まらず中止にしてもよかったが、たとえ2~3名でも宿泊開催すると決めていた。夏はもう3年間も中止になっているので、このままならズルズルと無くなってしまう気がしたからである。 開催してよかった。たとえ数名でも子供たちのエネルギーは大きく、皆様のおかげで、やっぱり仏の子供大会となったのだ。ご喜捨もたくさん頂き、大いに助けられた。子供の参加は少なかったが、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生と揃ったし、大人も2日目からは多くなって、30名近い人が集って、賑やかな子供大会となった。初参加の高校生や大学生もあって、それだけでも意義があった。  ただ班活動はできなかった。当然、班長もいなし、班のモットーや歌もなければ、班評価もない。そして野外活動も、追ハイ、ファイヤー、室内オリンピック、水泳もなかった。つまりは、すべての野外活動、団体行動の規律を重ん...

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億劫(おっくう)

 2月の北海道旅行で、ブログが止まってしまった。真冬の北海道から連日の猛暑日である。ここ2~3年、停滞気味ブログではあったが、ここまでの長期の離脱は初めてで、このまま終わった方が楽な気もする。もう役割は終わったのかもしれないね。  この冬は、何かと億劫な感じが味わっていた。これはここ数年感じてきたことが、還暦を過ぎた歳のせいもあろう。加えて、煩わしい事務手続きが増えてきている。デジタル化で、大目に観られていたことが厳密に適用され、書類作製が増えた。それもネットで処理やスマホがなければできないこともある。この流れは、個人でも法人でも加速化されていくのは必然であろう。華光の活動自体も多岐に渡ったり、事務量が増えているのも確かであり、そんなこんなでバタバタと慌ただしくて、なかなかプログに向えなかった。  味わうことは種々増えている。学べ学ぶほど気づくことも多い。法座でもさまざまな気づきをいただい...

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4年ぶりの北海道(4)~旭川・川村カ子トアイヌ記念館

 深川を昼過ぎに出発して、美瑛町の白金温泉を目指す。  旭川経由なので、旭川の雪まつりの雪像を探したが、少し時期が早かったようだ。  市内を回っていたら、「川村カ子トアイヌ記念館」を見つけた。    4年前に、時間の関係で行けなかった場所だ。ゆっくりと見学したが、他の観光客はいなかった。ウポポイの展示を観た後だったので、一段と不思議な気がした。別に展示品が特別に違う分けではなし、ほぼ同じようなものが展示されている。しかも、こちらは狭いスペースに雑多に展示されているのが、実際にそれらを使っているアイヌの人々の写真が添えてあるだけでも、決して展示品が美術品でも、貴重品でもなく、普段の日常生活の必需品だったり、生活に結びついた神事や祭事の品々だったり、季節事のうつろいをあらわすものだったりと、要は、そこに生きている人が感じられるようであった。  この差はどこから来ているのかを噛みしめな...

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4年ぶりの北海道~深川市~

 4年ぶりに連れ合いの実家である。  こちらに帰省の度に、観光果樹園が整理されていくのは寂しい。最初は主力のリンゴがなくなり、今回はサクランボの樹が切られいてた。まだブドウやナシなどは奥に残っているが、自宅の回りの風景は変わっている。しかし冬の間は一面に雪に覆われてしまうので、それほどの違和感はない。冬の時期は、見晴台の山小屋までの道も塞がれている。今年は寒さが厳しく、雪が多くて、朝夕の除雪車の後で、義父がトラクターで家からの道を整備するのが日課になっている。雪が降ると、どこまでが道で、どこまでが雪壁が分からなくなっている。  今回の深川では訪問したい場所(お寺)があった。これまでも、北海道に来るたびに知り合いのお寺を訪ねてきた。小樽市、伊達市、そして深川市でもそうであるが、今回も初めてのお寺である。コロナ前の大学の同窓会で、たまたま同じテーブルについた同教生が、連れ合いと...

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4年ぶりの北海道(2)~白老・ウポポイ~

 今回の旅の目的の一つは、「ウポポイ」を訪れることだった。白老町にある国立アイヌ民族博物館と共生公園である。今日は大雪が予想されていたが、建物の博物館に入ってしまえば影響を受けないと思っていた。  国も、北海道も力を入れていて、空港でも大きく宣伝されている。が、広大な駐車場に車は2~3台しか停まっていない。そこから、グルグルと回路を展示施設まで、雪が強く降る中を4~5分歩いて、博物館へ。次ぎの公演(アイヌと唄や舞踊)の時間が迫っていたので、また体験交流ホールに移動。3分ほどのことだが、寒い風雪の中を歩く。ボロト湖畔の美しい風景が楽しめるそうだが、冬季は湖も凍り雪が積もり湖は判別しない。天気さえよければ問題ないが、風雪の強い時の外部移動は不自由だ。  でも、公演はよかった。観客は3組だけで、舞台上の演者の方が多いように思えたが、若い演者による迫力のある声と踊りを堪能した。博物館に戻っ...

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4年ぶりの北海道(1)~登別温泉~

   4年ぶりに北海道に向う。インド旅行で取り止めた後、新型コロナが感染が急拡大して、家族単位での帰省は自重していた。もちろん、連れ合いだけは正月と盆の帰省を続けていたが、毎回、コロナに振り回された里帰りとてっいた。今回も、旅行支援の関係もあるが、念のために事前にPCR検査を行なって旅にでた。ぼくは初めての経験だったが、家族全員が陰性で、無事に旅に出ることができた。   寒波の心配があった。直前まで、飛行機の遅延や欠航がつづいていたが、幸い、行き帰り共に、好天に恵まれて順調なフライトとなった。北海道に関しては、晴れ男である。  関空から新千歳空港へ。予定通り空港の「ラーメン道場」でラーメンを食べて、レンタカーを借りた。晴天だったので、支笏湖に足を延ばしかけたが、時間の関係で途中で止めて、登別温泉を目指すことにした。  登別も4年ぶりだ。宿は、第一滝本館にしたので、地獄谷はすぐそこ。でも、...

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『口伝鈔』第七条「凡夫往生章」

 『口伝鈔』第9回は、第七条「凡夫往生章」。「凡夫往生の事」、つまり「凡夫が浄土に往生することについて」と題された章である。例によって、大意をいただき、分科(5段)にわけてそれぞれの難しい語句を解説し、現代語訳をいただくという流れで進む。そして最後に問題点をいただくのだが、大切なテーマなので、ほぼこれだけで時間を費やしたが、少しだけ最後に分かちもあった。  「凡夫往生の事」と端的に標題されるように、浄土真宗は、阿弥陀如来のお働きで、凡夫が凡夫のまま浄土往生するみ教えである。それは善導大師の「凡夫入報」のお心であるが、多くは聖道門の常識に惑わされる。本願他力を疑うことは自力疑心の所為であり、善き師に出会わないからである。自身が煩悩具足だという自覚を失うことなく、「親鸞一人がためなり」と、凡夫の私こそが浄土の主とならせて頂くさくうのが、大意である。  それを、一、標題      (凡夫往生の事...

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寒波

 とにかく寒い。十年に1度の寒気に日本列島が覆われている。  京都も、夕方から大雪の予報ではあったが、昼間はそうでもなかった。  5時前に、映画館を出たら、強い北風と共に雪が横から吹きつける。急に気温も下がっている。このあたりでは稀な感じだ。この時点では、それほどの積雪はなかったが、その後、買い物に出かけた連れ合いから、電話がかかる。  帰宅するTさんのことを心配しての電話だった。外を見ると、2時間ほどで大雪になっている。大急ぎで、ちょっどう乗車中だったTさんに声をかけるが、とりあえず、帰ってみて、もしダメなら引き返すという返事だったが、10分ほどしたら戻ってここれらた。このあたりでもこの雪なら、京都市内でも、北部は20~30センチは積かもしれない。 結局、Tさんは会館に宿泊された。行事など以外ではなかったことだし、仕事の後では、初めて帰宅だきなかった。大阪にバイトに出かけていた娘も、途中...

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広島での法事

 葬儀の翌日、早朝から広島に向う。 今度は、別院の近くにあるお寺を借りての年忌法要と納骨である。  お母様の法要は、「釈遠慶」と、父が付けている。彼女の祖父の代、広島からアメリカ移民でカリフォルニに渡った方から、逆輸入で真宗のお法りが伝えられた。浅い歴史の華光ではあるが、そのご因縁は5代渡って続いている。お母様の兄弟姉妹5名も、昔からの華光同人であったが、今も、そのお子様たち(ご姉弟)も同人としご縁を結んでくださっている。それどこなか、そのお孫さん、そして曾孫さんの代まで、仏の子供大会でのご因縁がある。だから、今日集まったご姉妹の4名も、まだご縁を結んでくださっていて、そのお子さんたちも、小さな時からの法友でもあって、その再会を懐かしんだ。  法要や納骨は、ご住職がお導師を勤めてくださるので、参列者の一人としてお参りした。  墓石の「南無阿弥陀仏」は父の書だ。  午後からの時間は、ご法話...

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大阪での葬儀

   報恩講の初日、夜座を前に、大阪同人より電話がある。予てよりお父様の葬儀を頼まれていた。1ケ月前に、危篤状態との連絡をいただいていたが、その後、回復に向かわれていたが、ご逝去の連絡である。やはり火葬場が混み合い葬儀の日程は未定。  本業は「生きた葬式」をする場なのだが、同人の依頼があり日程が合えばご縁を結ばせてもらっている。それでも10年近く葬式がないことも珍しくない。昨年も一度もなかったが、年2回、それも1週間も開かず葬儀が続いたのは、初めてのことだ。1年以上間が開くと、勤行も七条の着付けも忘れているが、さすがに1週間以内なら、そのまますんなりと進んだ。  初日は、電車で会場に向う。このところよく道に迷い。特に東京や大阪の地下鉄からの経路は、複雑だ。事前に地図は用意するので、だいたいの方角はあっていたが、確かめながら進むので、倍以上の時間を要して会場に到着した。ナビをするスマホがない...

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«葬儀から報恩講