浄栄寺にて

 室津の浄運寺から、たつの市の浄栄寺に到着した。  初めての参拝だ。由緒あるお寺で、たつの城から移築された、警備(監視)小屋が附属した門に迎えられる。立派な本堂が会場である。  仏青研修会だが、いつもの顔ぶれが中心だ。しかし現地は少し違う。高校生の友人たちが多数参加くださり、また声かけをした同じ地域の若い住職夫妻も参加してくださった。またお世話役の女性(夫人)会の会長さんも、参加くださったのも、うれしかった。  大歓待を受ける。おやつのお菓子や飮み物も多数ご用意くださる。初日の昼座が終わったところで、室津の海が眺められる温泉に向うが、送迎にご門徒方が車を出してくださった。その間、婦人会(女性会)の皆さんが、夕食の準備にあたってくださる。その夕食がすごかった。庭では、豪華なバーベェキュー、門徒会館では、すき焼き(しかも上等な牛肉)が用意され、別室には、おでんに、炊き込みご飯に、カレー...

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法然上人二十五霊場~室津の浄運寺~

 京都支部法座の翌24日(土)~25日(日)にかけて、兵庫県たつの市での拡大仏青研修会である。よくよくのご因縁であるが、その話はまた後で。まずは、少し早めに出発し、有志の皆さんと法然聖人のご旧跡へ向う。高速のたつのICを降りて、しばらく山道を走っていると、急に太陽に輝く海が開けてきた。 海岸沿いのお店にはたくさんの車が停まっている。「牡蠣」を目当てに人が集う。でも、ぼくたちの目的はここではない。さらに急な山沿いに海が迫るクネクネとして細い道を進むと、小さな漁村に出てきた。昔は、参勤交代の宿場町として本陣もあり、たいそう栄えており、小さな村に各宗派のお寺が軒を重ねていた。  1月の報恩講法座で、法然聖人のご恩徳をテーマに法話をした。『法然上人行状絵図』(四十八巻伝)から、流罪途中に、高砂で漁師の夫婦のご教化された聖人は、この室津の浜で、舟に乗った遊女をご教化されている。浄土真宗なら、『...

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京都支部法座~2月の連続法座(6)

 23日(祝)の「京都支部法座」。  「長命の集い」の余韻が残るなか、法話の前半はその時の感想。内容よりも、進め方での世話人と一参加者との温度差で感じたことで、伝道という観点から、自分なりには大切なテーマだったが、如何せん、「長命」に不参加の方が多くて、共有できなかったことが残念だった。  後席は、広島と同じく、聖人88歳、最後のご消息を取り上げる。ただテーマは異なる。 飢餓や疫病で、多くの人々が無残な死を迎えるなかで、それは如来(釈尊)が説かれた無常の理であって、別に驚くべきことではないこと。そして、親鸞の身には(ここでも「身」です!)「臨終の善悪をばもうさず」、つまり死にざまの善悪は問題にはならず、「信心決定のひとは、疑いなければ正定聚に住する」のであって、たとえ、「愚痴無智の人も、おわりもめでたく候」と、信心決定の身となれば、その時、必ず正定聚不退の位に住するのだから、どんな死にかた...

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魚三楼での祝賀~ちょっと箸休め~

 姉も「長命の集い」に参加していたので、終了後、体調の都合などで延期していた母の米寿祝い(88歳)を行なうことにした。伏見にある老舗料亭「魚三楼(うおさぶろう)」に決めた。ミシュランの星付の有名店だが、何度か前は通っても、中に入るのはこれが初めてである。こんなことがなければ、ご縁はなかっただろう。創業260年余り。「鳥羽・伏見の戦い」では、この前の道も戦場となり(近くに徳川幕府の伏見拠点だった伏見奉行所がある)、お店の格子にその時の弾劾痕が残っているのことでも有名。伏見屋敷があった大名家(特に薩摩藩)の御用達でもある。 《格子の弾劾痕》  店名に「魚」の一字があるように、新鮮な魚料理が有名で、とても上品で美味しかった。なにより、主賓の母が元気に席に着いてくれたこと、そして喜んでくれたことが一番うれしかった。 ...

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第3回「長命の集い」2日目~2月の連続法座(5)

 「長命」(じょうみょう)の2日目は、まず、各グループでのテーマを出しあうことにした。ぼくも、一つ「一瞬の喜び、永遠の幸せ」というテーマ。もちろん、これは「信の一念と、信の相続」を念頭においたのもである。  ここでも思わぬ収穫があった。これまでなんとなく関わりのなかでモヤモヤしていた方と、じっくりと関わることができた。あえて言葉に捕らわれず、その方の言葉の背景(気持ち)を、突っ込んで聞いていった。すると、その方自身も気づかなかった(もしくは抑圧していた)ものが、見事に立ち上がってきたのである。その理由はなく、その事実に出会えたことが尊かった。予想外の展開にうろたえておられるご本人とは別に、ぼくには、この一つだけでも今回の集いの意義を感じた。  午後からのご法話は、伊藤康善先生の「伊藤先生の言葉」から、「信心とは、有り難いこころを育てるのではなく、その心を捨てることである」というところをテー...

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第3回「長命の集い」初日~2月の連続法座(4)

 20日(火)~21日(水)は、「長命の集い」だ。初日は夜18時から開始なので、それまで華光誌の編集作業を行なう。手違いで誌上法話の文字起し依頼が出来ておらず、大急ぎでお願いをしたら、超速攻で作業してくださり大いに助かった。さすがベテラン、ありがとうございました。華光大会で法話で、三帰依文のうち「南無帰依仏」を取り上げている。  さて、長命(じょうみょう)の集いも第3回である。参加年齢が61歳以上なので、僕が一番の若手である。平日法座ではあるが、日頃、華光会館の法座にお参りしづらい、お商売をされている方々が集う特徴もある。今回は、鹿児島、大分、福岡からの参加者が6名もあった。また北海道の古参同人も加わってくださり、遠近各地からの珍しい顔や、とても懐かしい顔もそろい、日頃の法座以上にバラエティーに富んだメンバーが集う。これだけてもワクワクと楽しみである。 まず、チャックインのあと、企画からメ...

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久しぶりの広島法座~2月の連続法座(3)

 法座ダブルヘッダーの翌18日(日)は、10月以来久しぶりに広島支部法座である。ここ1~2年、広島法座の参加者が減少していて、寂しいが、今回は、福岡からもお参りがあったのが、うれしかった。  法話は、親鸞聖人の「御消息」(お手紙)の中から、日付が確定している聖人の最後のお手紙を取り上げた。聖人88歳のお手紙は、内容からみても聖人の私たちへの遺書と言ってもいい内容だ。それがシンプルでありながら、どの言葉も鋭く突いくる。  そして、最後の最後は、恩師法然聖人のお言葉である。  「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」  賢賢(さかさか)しく振舞う身に、突き刺さる言葉であり、ご遺言となるのである。  ...

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華光誌輪読は「同人さん…」~2月の連続法座(2)

 17日(土)の午後からは『華光誌輪読法座』である。83-1号の2回目。2回目なので、誌上法話(今号は『正信偈大意』なので誌上講話)だが゛今回に限り、変則的に別の箇所を読むことにした。『みなもとへ』を読み始めたこともあるが、その同じ特別講演会の夜座、同人企画「同人さん、いらっしゃーい」(1)を読むことにした。  しかも内容が、華光会館の創建時に、華光会館に間借りして棲んでおられた古い同人と、姉との対談である。華光誌のことだけでなく、仏の子供大会や日曜学校のこと、そして古い会館での行事のことなど、ぼくにとてっも、懐かしい想い出がたくさん詰まっている回で、感銘深く聞かせてもらった。  参加されていたMさんが、姉のことを、「法友なので」と何度かいわれた。その「法友」の言葉の響きが、耳に残った。さらに、そのころは「聴聞が大好きで、いろいろと先生に法座に連れていってもらった」という話もよかった。単な...

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仏書に親しむ会~2月の連続法座(1)

 とにかく行事が続いている。本来は閑散期であった二月末から三月にかけて、今年は本部主催の宿泊行事が集中してしまった。その合間に、講習会の教案作りと、華光誌の編集作業があるので、かなりハードな日程となった。 2月の東京支部法座、聖典講座と済ませて、その翌週からが法座の連続である。  17日(土)の午前中(10時~12時)は「仏書に親しむ会」(『みなもとへ』の輪読)を行ない、午後からは「華光誌輪読法座」という、1~3月限定の朝座~昼座のダブルヘッダー法座である。 「仏書に親しみ会」では、伊藤康善先生の著述(『仏敵』『善き知識を求めて』『悟痰録』『死を凝視して』)を読み進んできたが、1月から休止して、発刊したばかりの『みなもとへ』を読むことにした。母も参加しているので、生の声が聞ける間に開いておきたかった。  今回は、その2回目。『みなもとへ』「隠された下駄』第1日目の講演の後半である。前回が、...

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『口伝鈔』第十六条「信心称名章」~覚信房のご往生~

 『口伝鈔』第十六条は、「信心称名章」と題されるが、標題も短く「信のうへの称名の事」~「信心決定後の称名念仏のこと」という章だ。 聖人の門弟で、聖人に乞われたことをきっかけに、病をおして上洛し、聖人の身許でご往生された覚信房の臨終の称名念仏が、臨終来迎を期待する自力ではなく、報恩謝徳の念仏であったことに対して、聖人が感涙されたエピソードが語られている。そして臨終来迎を期待しても、正念で臨終を迎えられる確約はなく、また自力の称名では化土すら難しいことを示して、浄土真宗の法義は「平生業成」であって、信心が定まる時に往生も定まるので、その後の称名念仏は、往生を願い励む自力ではなく、御恩報謝の称名念仏であることを、聖人の正信偈を通し手示される。「信心正因・称名報恩」こそが真宗安心の肝要なのであると明示される。というのが大意になろう。  冒頭に示される、覚信房との交流が場面に心打つ。実際は、『御消息...

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ARU「聞こえない波」

 急遽、神戸にコンテンポラリーダンスを見に行くことになった。  今週、連れ合いが劇団関連の仕事で神戸三宮に出かけた。舞台に出るのではなく、裏方(照明)のスタッフの助っ人である。その縁で、公演に誘われた。お芝居ではなく、音楽とダンスのコラボである。 これまでまったく縁のない分野。しかも急な話、聖典講座の準備もある。ギリギリまで迷ったが、これもなにかの縁だと、三宮まで足を延ばした。会場の近くでは、神戸ルミナリエが開催されていたが、昼間の公演でライトアップにはまだ早かった。  レトロなビルの一角、おしゃれをカフェやライブラリーもある、旧生糸検査場、kiito のスペース会場。  倉庫のような会場で、照明設営もかなり大変だったようだ。3日間、昼夜の公演だが、観客も30名ほど。そんな感じのファッションをした若い人が多かった。劇団のスッタフにご挨拶。 「聞こえない波」は、音楽とダンス(から...

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報恩講~法然上人のご恩徳~

 夜座は『御伝鈔』の拝読。今年は下巻第一段から第四段まで。拝読も、三年目になるとかなり慣れてきて、余裕もでてきて、それらしく聞こえて来るようだ。 親鸞聖人のご恩徳を明らかにし、そのお徳に報うていくのが、報恩講である。報恩講は、覚如上人が、親鸞聖人三三回忌に始められて以降、今日まで一度も欠かされることなく700年以上続いているという。その時、拝読する『御伝鈔』は(正確には、伝絵で、そこから言葉の部分が『御伝鈔』、絵画の部分が親鸞聖人『御絵伝』である)、その三十三回忌の翌年、覚如上人が26歳の時に作製されたもので、その後、報恩講では欠かさず拝読されるようになった。  今回は下巻なので、冒頭の第一段が、流罪の顛末を聖人の『化身土巻』の後跋(ばつ)から引用しておられる。師資遷謫-「ししせんちゃく」で師匠と弟子が共に、流罪に遭うという意味-の段に始まり、第二段は稲田興法で、流罪によって関東に真実仏法...

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«報恩講~初心忘るべからず