「仏書を親しむ会」~二つのカサ(1)~

 久しぶりに「仏書を親しむ会」。  寒い夜の集いなので、参加者が少ないと予想していたが、珍しく二桁の参加者。この集いに初参加の方も2名あった。  今日から、悟朗先生の「二つのカサ」を読む。  華光誌に掲載した時も、今回の再編時にした時も、何度も目を通している。校正もしている。  しかし、その時は、文字の間違いがないか、おかしな表現はないかという編集者の眼で見ている。「わが身」に引き寄せては読んではいない。だから、今回、すごく新鮮な甥もがした。 それも皆さんが疑問に思ったり、心にひっかかったり、味わったりすることを発言してくださったから、ぼくもいろいろと気付かされた。  たった4節読んだだけだったけれど、「こんなことあったかな」の驚きの連続。  心のオーバーホールはどうだろうか。それは、どこまでもご法を聞かせてもらう以外にはない。信心決定した者は、信心の溝さらえで、再々に法水を流させていただ...

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アルゼンチン映画『笑う故郷』

 久々に映画館でトラブルに遭遇した。  これまでも、落雷で上映が中断したり、映写機トラベルで何度も止まったり、痴漢が上映中に逃げ出したり、突然、大声で携帯電話で話す人(浮浪者風)と揉めたり、まあいろいろなことがあったが、すべて上映が始まってからのこと。  朝10時前、京都みなみ会館に行くと、上映5分前なのに、皆さん、ロビーで本などを読んでいる。どうもおかしいと思っていると、映写機が故障し修理中だという。結局、15分たっても直らず、今回は中止となった。集まった人には招待券が配られたが、せっかく時間を作ったのにがっかりだ。  映画は、アルゼンチンの『笑う故郷』。朝の1回切りで、2日間で上映終了。もともとは観る観ない半々の映画だったに、こうなると無性にみたくなる。観なかったら後悔しそうな気分。というわけで翌日は、予定変更してリベンジすることにした。  まあ、これが予想以上に面白くて、なかなかの秀...

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『観無量寿経』(2)組織

『観無量寿経』に入って、第2回目。  まだ本文には立ち入らず、組織・組立(分科)で概観した。  お経は、伝統的に「序分・正宗分・流通分」三分類されるが、善導様は、『観無量寿経』を五分類して頂かれている。簡単に述べるが、命名も善導さまのご指南によるものである。  一、序分は、(1)証信序(通序=全てのお経に共通し、六事=信・聞・時・主・処・衆成就を示す)と (2)発起序(別序=各経の特殊な事情を述べる)に、だいたい二分類される。  善導様も、その2分類されているが、ただ(1)証信序を「信・聞」のみ(つまり「如是我聞」)として、  従来は証信序とみられる「時・主・処・衆」を「1、化前序」とし(2)発起序に収められた。ここは、「王舎城の悲劇」が韋提希夫人を中心に述べられる段である。そして、聖道門の諸師が正宗分とされた「5、欣浄縁」「6、散善顕行縁」「7、定善示観縁」-韋提希夫人の要請で、本論に入...

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広島支部法座~法友のご往生~

 1月に廿日市市で広島支部法座があった。その時、会場の近くに住んでいる同人のTさんもお参りされていた。腰が痛いということだったが、普段どおり、元気に発言されていた。法座が終わり会場の出入り口で、一言声をかけ、「また来月お会いしましょうね」と、笑顔でお別れした。  それから2週間後のことだ。  「Tさんが亡くなりました」との突然の訃報。   「エッ!」と驚いた。まだ60代の後半だ。先日も、60代の同人の訃報が届いたばかりだ。その方は闘病中で、お見舞いにも伺っていた。  でもTさんはお元気だった。何でも急に倒れられてから2、3日ほどでの急死だったようすだ。   浄土真宗では、阿弥陀さまの本願力のお力で、そして他力の信心を獲得したならば、必ず浄土往生の身とならせていただくのである。だから冥福など祈る必要はない。  それでも、凡夫の情としては、仲間との別れは寂しく、悲しいものである。まし...

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そして誰もいなくなった?

  広島の法座、今月は土曜だ。  いつもと同じ時間の新幹線に乗るが、日曜日は博多行き、土曜日は広島止まりである。  新大阪を過ぎ、新神戸、岡山、乗客が降りていく。トイレに立って、他に誰もいないことに気がついた。人生と同じだな。気が付くと一人で出かけていく。   車両は貸し切り状態。それだけだが、思わず写真を1枚。

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内観を深めるシンギングボール

  今日は連続して講義を受ける。 90分間の『選擇集』講義後、休憩なしで、 別会場の120分の講座。こちらは、「仏教カウンセリングとビハーラ実践」。一方的な講義ではなく、車座での実践や発言もあるので、気分は違う。 「内観を深めるシンギングボール」と題して、45分程度の瞑想の実践があった。  実は、シンギングボールとは初めて聞く名なので、質問して教えもらったら、チベット仏教でも使われる楽器だということだ。中には、「ネパールで求めました」という方もあった。ぼくも、ネパールは2度訪れ、そこでチベット寺院でも食事(まったく口にあわなかった)をしたことがあるのに、まったく覚えがない。興味、関心がないということは、こういうことである。  ちょうど沙羅(さわり)のような打物だが、7つのチャクラに合わせて、7つの金属で出来ているそうだ。大小によって音の高さや響きが異なり、自分の共鳴する音を見つけることがた...

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『選擇本願念仏集』~四修篇~

 『選擇本願念仏集』の講読。  今回は、四修、つまり安心・起行・作業(さごう)の「作業」にあたる。平たくいうと、どんな態度で念仏を申すか、念仏の称え方である。  法然さまは、善導さまの『往生礼讃』と、慈恩大師窺基の著と言われてきた『西方要決』を引文されている。  ともに四つの態度・姿勢があると明示されるのだが、善導さまは、3つしか示されていない。 (1)恭敬修-阿弥陀仏と聖衆を敬虔に敬い礼拝する。 (2)無余修-他のことを一切に交えないで、阿弥陀仏の名をひたすらおもい、称えていく。 (3)無間修-(a)間をあけず、相続して恭敬礼拝をしていく。         (b)貪愼などの煩悩を間えず、実践していく。 そのすべてを、畢命(命が終わるまで一生涯)誓って中止しないということが、その3つに通じての実践態度なので、それを (4)長時修として、合わせて4つとあると示されている。  法然さまは、長時...

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抜歯

  親不知を抜くことになった。  総合病院の口腔外科である。4本あるので、2ヶ月間で2本ずつ抜くことになった。  先に通っていた連れ合いからは、相当脅されていた。特に40を過ぎていると骨と癒着していたり、虫歯なので途中で折れたりすることもあるという。その後、腫れて数日間食事ができなかったという人の話も吹き込んでくる。ところが、後から通院したぼくの方が、一足早く抜歯することになった。  身を硬くしながら、15分前に待合室へ。すぐに簡単な説明があり、麻酔された。そして抜歯である。両方合わせて10分足らずで、あっという間に終わった。予約時間になる前に終了していた。痛くなかったが、緊張して肩が凝っていた。今は痛くなくても、数日間は痛みや腫れが出るそうで、抗生物質と痛み止めが処方された。  多少の覚悟をしていたが、幸い、夜になっても痛みはなく、痛み止めを呑む必要もなかった。完全に止血していないので口...

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福岡Y家家庭法座~身で聴く~

  福岡Y家家庭法座。  初日は事務所での法座のあと、夜は「あり田」での懇親会。2日目は、自宅に移り、午前中はY先生のご法話。これは我が身を知る、それには鏡が必要で、仏さまに照らされた我が身の姿を、十悪、五逆、謗法罪として、ここを具体的に詳しく述べてくださったが、具体例が多くて、分かりやすいお話であった。午後からは、ぼくが1席法話をした。  ぼくのテーマは、親鸞聖人が示された「身」を中心にした。もともとは40年ほど前にお聞かせに預かっているテーマである。  最近読んだ精神科医の新書で、「頭」(いわば社会や教育で後天的に造られた認知)・「心」+「からだ」(本来持っている自己)が、対立したり、離反したり、「頭」による「心」「からだ」を抑え込むことで生じる、さまざまな症状に触れておられる。その先生が指摘する「心」+「からだ」こそが、「身」と言われるものだと思ったのだ。  ところが最近の...

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「同人会ニュース」と「講習会」の勧め

 同人会ニュースを発送した。  巻頭は、伊藤康善先生の「叫喚念仏」。先生は参加されていないが、昭和36年の5泊6日の華光仏の子供大会の記録テープを聞いての感話。これが面白いだけてなく、伊藤先生のすごさを感じる。「叫喚念仏」の叫喚とは、叫喚地獄のことで、先生の造語。でも、子供大会での子供たちの念仏を言い表すには、いちばんピッタリしている。お楽しみにお待ちください。後は、総会の報告である。  同封は、2月の法座案内と、2月の講習会の案内状、3月の春の子供大会の案内状。  ちなみに2月の講習会は、  2月17日(土)~18日(日)の2日間で、「歎異抄」の第5回目。後序に入る。附記と奥書も含めて、2日間で読む進める。ここは前18章の総括であると共に、真宗安心の領解の核心に迫る箇所である。「信行両座」の諍論や、「親鸞一人がためなりけり」とか、「念仏のみぞまこと」などの馴染みの深い法語も多いので、どう...

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寒い一日の、盛り沢山の日程

  朝、外は真っ白だ。でも京都市内の積雪は少なかったが、ほんとうに寒い1日だった。日本列島が冷凍庫に入ったようだ。  事務所は、同人会ニュースの発送作業作業。午前中、豪雪の豊岡からRさんが来館される。2月の講習会と4月の永代経の講師依頼などの相談をする。本業の合間を抜ってのご足労。  その後、昼一番で福岡のY先生が会計の報告に来館。12月の月次だが、ひどく落ち込むことはないが、相変わらずの低調ぶりに、頭が痛い。  そのまま「ご本典」の勉強会に進む。「行巻」に入ったが、大学院時代の普賢ゼミでのお聖教の書き込みが役立っている。しかしその大半は忘れている。実のところ、いろいろと分からないことが多くて、自分のために勉強している。    時間一杯で切り上げて、仏教大学四条センターで受講。雪が舞っていたが、自転車で四条烏丸へ。夕方には止むという天気予報を信じた。約1年ぶりに、仏大の松田先生の...

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1月の輪読法座「師業口伝」

1月の華光誌輪読法座は、77-1号の巻頭言を読む。  Y先生の「師業口伝」である。要旨を述べると、平成二十九年の華光大会では、伊藤康善師の五十回忌と増井悟朗先生の三回忌法要が厳修されたが、ちょうど伊藤先生の生誕120年悟朗先生が華光会館が創建され60年という節目の年に当たっていたことが、一段目に示されている。  第二段目には、年忌法座で、伊藤先生の法話CDと悟朗先生の「伊藤師を讃える」を拝聴したが、伊藤師は、「仏教の真髄は智慧門である。智慧の念仏を頂いて、後生の世明けをさせてもらう」ことにあると仰せられた。悟朗先生にも、「お慈悲な阿弥陀さまだからと、そこに腰をかけるのは一番危ない」というお示しがある。ところが、大半の真宗者は、浄土真宗は阿弥陀様のお慈悲を仰ぐ慈悲門と理解されて、地獄一定も薄れ、厳しさが抜け落ちていく。しかし、智慧門では僧侶だとか、教学があると自慢しても、ひとりひとりが、厳し...

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