2009年11月14日 (土)

『THIS IS IT』

  『THIS IS IT』を見ていると、 -マイケル・ジャクソンという大司教が、信者の前で、最高の祭祀、祭礼を挙行する-そんなイメージが浮かんできた。もうここまできたら、単なるエンターテイメントやパフォーマンスの枠を超えた宗教性すら帯びて来る。実際、彼を「神」と信奉する信者も多かったのだろう。

  ぼくは別にMJファンでもないので、逝去のニュースに驚きはしたが、別段の思いを持たなかった。でも、そんな程度のものでも、このリハーサル風景から完璧を求める天才ミュージシャンの情熱に撃たれて、胸が熱くなってきた。

Sakuhin007291_1  2009年6月25日、キング・オブ・ポップことマイケル・ジャクソン、急逝。復帰ステージと位置付けたロンドン公演への膨大なメイキグフィルムを映像化したもので、死の直前まで行なっていたリハーサルの模様を収めた貴重な音楽ドキュメンタリーだ。一小節、いやほんの一音の雰囲気や数秒の間合いにも妥協せず、監督に委ねずに指摘できる並外れた才能と、完成度の高い舞台をめざすその情熱、そして、その高い要求に応えるだけの力量をもったダンサー、ミュージシャン、スタッフ、映像関係者の隅々にいたるまでが、世界中から彼のために集まった一流の人達、彼らの一体感を生み出すその求心力…。音楽的才能にしも、まだウォーミングアップで押さえぎみだが、すでに圧倒的だ。そして、50歳にして、このシャープな動き。一流の若いバックのダンサーの中でも、ひときわ異彩を放つダンス。これが報道されるような薬物過剰摂取で亡くなる直前の人間が見せるパフォーマンスなのかと、正直驚いた。

 重ねるが、その過程で見せる妥協のない姿勢と、そのプロセスから生まれるパフォーマンスに、しばしば感動させれた。かっこいいのだ。彼は、テンポ、リズム、その間や余韻まで完璧を求めて、スタッフに次々と細かい注文をつける。しかしその口調は穏やかで、人柄が垣間見えるようだ。バックダンサーのひとりが、彼を「とてもフレンドリーで、謙虚だ」と評していた。最近は、ゴシップや裁判、プライベートの奇行ばかりが話題となって、どうも人間不信や奇人変人というイメージをもっていたが、スタッフやメンバーには「愛」あるファミリーとして信頼していたのだろう。彼のインタビューはないが、何度もそんなメッセージをスタッフやメンバーに伝える場面があった。それだけに、この完成度で、直前の本番を迎えられなかった彼らの落胆は言葉にならないものだったろう。

 あと、コンサートで使用予定だった映像も面白かった。CGを使って10人のダンサーを数千人、無数にみせたり、「スリラー」を3Dで撮ったり、ハンフリー・ボガードの古いフィルムと共演する映像なとが、舞台がシンクロし一体化して進んでいく。最後、映画タイトルになった名曲が流れるが、このタイトルこそがテーマでもある。

 欲を言えば、全般にあまりにも彼を美化した作りであることか。確かに才能はあったし、ポジティブの面はよくわかったが、この復帰公演に向けて、悩んだり、ナィーブになったり、ぶつかったりすることはなかったのだろうか。まあ予期せぬ追悼作品なのだから、それもよしとしよう。ただ、彼の理念や日頃の行動の延長だが、「愛」とか「地球を癒す」といってメッセージが最後のほうは続いて、少々しらけた。エコとは逆行するような超ド派手で、莫大な金をかけた舞台裏を見せられるとなー。

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2009年11月13日 (金)

インフルエンザ?

 今週も、 道場で浄土和讃の校正作業をしている。2校目のなのに先方の手違いで、ルビがついていない。予定外に時間がかかっているが、なんとか週末で仕上げるぞーと、頑張っている。夕食前、「ナナが熱で、保育園を帰ってくるなり自分から寝たわ」と、ゆうこが言いにきた。

 とうとう我が家にもやってきました!?

 だいたい、保育園のクラスで、21名のうち15名がインフルエンザや熱で欠席。女の子で、元気なのは、ナナを含めて二人だけという状況。それでも休園処置にならないのは、共稼ぎやシングルの人が多いからだ。だから、「○○ちゃんは、朝来たと思ったらお熱が出て、熱を計って朝の歌だけ終わってすぐ帰らはった」と言う状態が続いてる。そんな状況でうつらないほうが難しいなー。2、3日前から「コンコン、コンコン」と咳をし出しいた。「咳から始まるよ」と聞いていたので、一応は用心(気持ちだけ)はしていたが、まあ仕方ない。わが家の子どもは熱には慣れっこだけど、自分から進んで、ひとり寝るというのは、やはりしんどいからなんだろうなー。

 事務所に行くと、ムラも、タッキーも、カンロまでマスクをしていた。いつの間に用意したんや、あんたら! でも、「もう手遅れやなー。昨夜も今朝も、ナナはここにズッといたしなー。2、3日前からもうウィルス蔓延しているわ」。第一、もうナナは、事務所に入らないもの。うつった時は、うつった時だ。きっぱり仕事はあきらめて、コウケントーの光線して、2、3日、ただ安静にするしかない。まあ、華光大会の1週間前で、よかったのかなー?

 さて、週末の予定です。今週は、輪読も、大阪支部の法座も華光会館です。

1)14日(土)昼1時30分~5時: 華光誌輪読法座
 華光誌68-4号、誌上法話(邪見驕慢の集大成)の輪読。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/rindoku2009-11.htm

2)15日(日)昼1時30分~5時:大阪支部法座
 増井悟朗先生のご法話と座談会。大阪支部の報恩講。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/osaka2009-11.htm

 共に、参加費は入りませんが、お賽銭をお願いします。輪読は華光誌をご持参ください。お持ちでない方は、お分けします。

3)14日(土)・15日(日)=仏教青年会リクレーエション。仏青会員対象にした交流会。 いいよねー、若いということは…。うらやましいような、もういいようなー。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/bussei2009-11.htm

4)15日(日)朝10時集合(華光会館)。日曜礼拝遠足

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/nitirai2009-11.htm

 我が家は、上の子だけの公算が大。ゆうこも予定していたけど、この状況では無理なので、引接の助っ人を頼んでいた。

さて、いよいよ、華光大会(21日~23日)まで1週間を切った。宿食等の申込みは締め切ったけれど、参加はできますので、参加希望の方は、あらかじめお申し込みください。

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2009年11月10日 (火)

タンカ展

Img_7701    真宗学会の講演会、講師は末木文美士氏。東京大学から、いまは、京都市にある研究機関の教授だ。ミーハー気分で、ちょっと覗くことにして、大宮学舎に向かう。でも、どうせあいさつやらなんやらあるだろうからと、その前に、東福寺の退耕庵に足を延ばすことにした。

 退耕庵。聞いたことないなー。日赤の裏あたりだと探していると、あっさり見つかった。慧日幼稚園のすぐ側だ。高校の3年間、毎日、この前を自転車で走り続けていたのにImg_7703 、まったく心に残っていない。関心がないとはこんなものだなー。

 なんでも、小野小町ゆかりのお寺だそうで、他にも歴史的な背景があるお寺のようだ。東福寺の紅葉は見頃にはまだ早いが、さすがに11月になって早くもかなりの人出だ。でも、ここは原則は非公開なので、観光客は通りすぎていく。20分ほどだったが、外の喧騒とは違って、静かに庭を眺めることができた。花頭窓から見る枯山水の眺めが美しかったが、ここの写真は撮れなかった。

 でも、別にお庭の拝観が目的ではない。

 日本人が描く、チベット仏教芸術の「タンカ」の個展があった。この前も、大谷大学の博物館で拝観したりと、「タンカ」にはご縁があるようで、マチャプチャレで、招待券をいただいたのだ。

 http://babasakikenji.com/outline/outline.html

  タンカについては、かりもんブログでも何度か触れている。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-df94.html

Mandara_2   今回は、現地で修業された日本人作家の帰国展だそうだ。どの作品も色彩豊かで、細部にわたって細密に描かれていて、かなり心惹かれた。ネパールやインドで見たものは、日本人の感性からすると、原色があまりにも色鮮やすぎ、ケバケバしかったり、仏図や高僧の顔貌にも馴染みづらい雰囲気があったが、その点は、やはり日本人の感性なのか、渋い禅寺の雰囲気とマッチする内容だったように思えた。

 作者にも声をかけ、華光会館のタンカについても聞きたみたかったが、ちょっうど接客中で、残念ながら無理だった。でも、これらの作品と比べてみると、大きさや細密度加減から、それなりの値打ちものだということはわかった。ただ保存状態が悪いのが玉にきずだー。

 肝心の講演の方は10分ほど遅刻したが、ちょっど始まったところ。最前列しか空いている席がなかたったが、おかげで退屈な講演も途中退席もできず、寝ないですんだのがよかったー。

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伝道研究会

 夜は、伝道研究会。

 『心身の革命』が終わって、全体の振り返り。

 やはり具体的に、より具体的に、日常の「私」自身のありのままの姿と離れないで聞いていく。先生の罪悪観のおおすめには、学ぶ点が多い。特に、観念的な聴き方や、教義を覚えていくような聞法、グルグルと方法論をこねまますような聴き方をする人が増えてきている。仏法は、現世や自己を否定的に捉えていく法門だと思うが、いまは、自分を肯定したり、自我を肥大させたりすることを是とする風潮が根強くなった。当然、聞法以前にも、否定的な人生観を持つ、自己を内省するということが難しい世の中になってきた。その意味でも、ますます罪悪観や無常観を通して自己を聞いていくことが大切になってくるように思える。

 自分自身の姿を、きわめて具体的に聞くことを勧めると、よく「罪悪観を深めたらその先はどうなりますか」と、まだ聞く前にその先を心配されたり、「自分の罪悪は分かっています」と、簡単に決めつけている方も多い。ではもう一度、その「分かっている」といわれる部分を言葉にしてもらとう、あやふやだったり、今生的なレベルで留まっていることが多いのだ。知ってるつもでだけなのである。ならば、もう一度、具体的に自分の机の引出しを開けてみて、中のものをひとつひとつ確かめてほしいのである。分かっていると決めつけているだけで、結局、いままでの自分の経験や学びの眼でしか内省していないことが大方ではないか。「獲信、獲信」「ハッキリする」と、自分側の変化や確証を追い掛けたり、また獲信の方法論として考えるのではなく、急がば回れである。

 ほんとうに自分自身の姿を聞かせてもらう。

 自分を知ることがないと、いくら聴聞を重ねても、知識や理屈ばかりが増えるだけで、肝心の地獄一定の「私」を哀れと立ち上がられた如来の大慈悲心が他人事に終わってしまいかねない。

 そうはいっても、やはり長年、固着した聞法者の中には、「そんなことは分かっていますよ。その先が聴きたいんです」とおっしゃる方も多い。こちらも、負けずに、もう一度重ねて、最初のボタンがほんとうにしっかりかかっているのか、分かっている中味を、具体的に尋ねて、先輩同行の前に出してみることをお勧めしたいのだ。自分で決めつけているだけで、如来様の眼からご覧になった罪悪とは、まったく違ってはいないか。実は、何も分かっていないことに気付くことだってあるだろう。これまでも、自分の心の変化ばかりを問題にしても埒があかなかったのだから、如来様の仏眼にうつる我が姿-実相を、具体的に、自分自身に即しながら、自分の言葉で聴いてみればいいのである。

 ところで、今夜は、終了時刻10時を回ってから、さらに1時間以上の延長。先日のシンポやさまざまなところでの布教や交流を通して見えてきた華光のあり方や、伝道の態度についてお伝えする機会をえた。いま、目に見えている部分での出来事だけでなく、むしろそこから派生してくる潜在的な可能性を考えると、華光という組織を広めるという、いわば自我(組織)肥大の方向ではなく、もっと門戸を開き、これまで先輩同人が蓄積してきてくださった財産、その精神を宣布していく道が、ぼんやりと立ち上がってきた気がしているのである。いま、いろいろな人にそのあたりを聞いてもらい、具体的に動き出したことも2、3ある。まだまだ、ぼく個人のところであるが、もう少しまとまったら、ここでも披露していきたい。

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2009年11月 9日 (月)

一山超えたと思ったのに…

 出張法座の持参して合間にも作業をした「高僧和讃」の初校を、夕方に出版社に渡した。やっとである。ご文の引用が明治書院から出版されている「聖典」の表記だったので、それを、本願寺のものに変更するのだけでも、かなりの手間となった。もちろん、意味は変わらないのだか、ずいぶん書き下しやルビに違いがある。表記はある程度統一する必要があるので、校正が真っ赤になってしまった。それに加えて、分科(科段)の部分を、組み表記から文章にする作業で、表現を増やして文章化して、こちらは別紙で添付したら、かなりの量が増えてきた。

  それでも、とにかく渡せてホッとしたのも束の間、「浄土和讃」の二校の作業がやってきた。こちらは、一週間ほどで仕上げると約束した。そうしないと、次は、「高僧和讃」の二校目がやってくるからだ。初校に比べると二校はかなり楽なのだが、それでも、両者の表記の統一など課題もある。もともと華光大会の発行を目標にしていたが、先方の都合で延べてしまった。ならば、報恩講を目指してということになったが、それには今月中にすべての校正を終えて年内に発行をめざさないと年明けでは難しくなる。

 華光大会や新年号の華光誌と重複してくる。出張法座の予定を考えると、日程がタイトで正直、気が重くなってきた。しばらくは一息つけると思ったのになー。まあ、どこかでやらねばならないことなのだがら、きっりとした目標や〆切があるほうが頑張れるのは確かだ。いろいろな関心事の時間もキープしつつ、集中して作業をすすめたらいいのだけどね。焦らないで、集中できるかが、ポイントかもね。

 夜は、伝道研究会だったが、長くなりそうなので、次ぎに改めて…。

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2009年11月 8日 (日)

念仏は凡夫から凡夫でないと伝わらない

 土曜・日曜日は、兵庫県豊岡市日高町の日高支部での支部法座。

Img_7700_2  年2回。11月の中旬と、4月初頭なので、だいたいまだ寒い日が多く、日本海側ということもあって、時雨れることが多い。それが今年は珍しく、快晴。しかも、動くと汗ばむほどの快適な気候だった。紅葉にはまだ少し早い。 

 いまは豊岡市になっているが、もともとは豊岡のご縁が古くて豊岡支部があり、隣接する兵庫県日高町は、JRの駅名をとって、江原支部と称していた。共に、華光有数の強信な同行を輩出した地が、創刊号からの唯一の同人がひとり存命されるだけになった豊岡支部は、かなり早くから高齢化や逝去が相次いで、支部活動は消滅した。そんな支部・地域は他にもあって、和歌山、冬野(和歌山市郊外)、堺、大和(支部ではなかったが)などは、古い創刊時や創建時に活躍された同行の地だったが、いまはご縁が尽きている。

 ご法とは、ひとりひとりが目覚めである。だから、そのめざめた方が、往生の素懐を遂げられたら、その仏法は滅んでいくといていい。あくまで、組織ではなく、個のめざめこそが、大切なのである。その意味では、やはり寂しいのだが、たまたまその地域で後継者が育っていなくても、遠く離れた地で、そのめざめた方の信火が飛び火して燃え盛っていくことがあるから、仏法はある種、厳しくも、ある種、面白いのものである。

 その意味で、この地の古参の同人たちは尊い。その強信ぶりもさることながら、長らく借地だった華光会館の境内地の購入や、華光会館再建の時には、事業の促進役になって尽力をくださった皆様方なのである。いまの華光会館にお参りの方には、たとえ直接のご縁がなくても、大恩がある先輩方であり、そんな方の仏法弘まれの執念が、連続無窮の絶えないお働きとなって結実し、いまの私のところにも、この尊い、まことのお念仏の教えが届いて来ているのである。

 毎回触れることだが、年々、激しく高齢化が進み、亡くなる方、お参りにこれなくなった方の方が多くなってきた。お参りの人数は半数、いや1/3程度まで減ったかもしれない。いろいろなことがあったが、ここの皆さん方にぼくはお育てをいただき、今日のぼくがあるのだ。父が30歳の時からのご縁だからもう55年近くになる。ぼくは初めて布教(子ども会だった)にお邪魔してからでも、30年は経っている。

 月忌参りがたいへんな時もあった。なかなか新しい人や若い人が増えず、いつも同じ愚痴話や言い争いになってしまうこともあって、このままでいいのかと考えた時期もあった。でも、ある時から、たとえ、新しい方がこなくても、「もうお招きできません」と言われる日がくるまでは、しっかりとお付き合いし、その現実の姿を見届けさせてもらおうと思った時があった。当然、皆さん、老苦、病苦、死苦のオンパレードなのて、皆さんがお参りにこれないのなら、こちから向かっていけばいい。さいわい、小さな地域にすんでおられるので、ほとんどが歩いてお参りにいける。しかも心待ちに待ってくださっている。

 今回は、これまで華光の運営委員長として活躍されていた方のお宅を訪問した。もう満身創痍というのはこの方のことである。足も手も不自由になれら、目も不自由なられておられる。痛みもあって辛いことだろうが、それでも、頭はあいかわらずシャープさで、いろいろと深いお話を聞かせてくださった。移動もたいへんだというので、襖を開けたまま、隣の仏間でお勤めをしたら、背後から号泣と大声のお念仏が聞こえてきた。御文章は、仏壇を離れて目の前で拝読した。

 「あれもダメになり、これもダメになり、たよりになると思っていたものが、なにひとつ頼りにならなくなってく。でもダメになればなるほど、逆にますます光り輝いていく、このお念仏さまによくぞ遇わせてもらいました。ほんとうにこれだけです」と、また泣きお念仏される。まさに、凡夫の無常の身を抱え、その病苦、老苦の現実を通しての身業説法をいただいたようであった。

 支部法座も有り難いし、子ども会も尊いのだが、法座をお世話してくださる姿や、一緒に食事をしたり、勤行をしたり、なんとなく近況や雑談が法義話になったりするような、いわば法座と法座の間の触れ合いに、一層の尊さを感じるようになったのである。いわば、文章なら、その文字のある行、行よりも、その間の行間の部分に深い味わいを感じるのである。

 今回のお宿にしても、決まっていたお宅の方が緊急手術とって、急な変更になった。月忌参りに入った先でも、お約束の時間なのに誰もおられない。お隣の方にお尋ねしたら、数日前に転んで肋骨を骨折して入院されているのだという。それでも、お二人とも、ご法礼はちゃっと言付けてくださっている。

 しかもお宿がダメなら困るだろうと、急遽、もう自分の体さえももままならないのに、わざわざヘルバーさんをたのんで掃除し、お宿をしてくださった。ぼくだけでなく、京都と福井から若い人がお参りされているのも、喜んで歓迎してくださった。それでいて、「何もできしませんようになりました。でも、支部長さんが忙しい中でも、ほんとうによくやってくれて、迷惑ばかりかけてます」と言われる。

 その老婆ふたりと手料理の鍋をつついた。ひとりの方など完全に耳が聞こえなくなっておられる。でも、さいわい、口はまだ達者なので、あれこれとお味わいを聞かせてくださるのであるが、最後は、何も残らない人生、すべてがダメになっていく現実の中でも、仏様に出会った喜びと、その真実に導いてくださった先生に出会った悦びを、涙ながらに語ってくださる。そして、「いまは楽しいだけです」と、不自由な体で喜んでおられる。この方の生き方は、ほんとうに恩徳讃のとおりである。

 それに、ほんの少しずつではあるが、次ぎの世代の方にも、その法水が、一滴、一滴と垂れ始めている。月忌に参ると、30、40代の息子さんやお嫁さんも、一緒に勤行してくださるようになった。ここまででも、かなり年数がかかっている。それが、今回は、初めて大人の法座にもフルで参加してくださり、懇親会でも楽しく話させてもらった方があった。もちろん、同世代の支部長さんの働きが大だし、巡回テープの作業のご縁もなど、いろいろとご因縁が整ったおかげだ。もろちん、この先、彼が自分の問題として聞法されるかどうかはわからない。でも、まずここからだ。ほんとうに畳の目を一つ、一つを進むかのような歩みであっても、誰もがその一つ一つを懇切丁寧にお育てをいただいきて。人に勧められ、導かれ、褒められ、おだてられ、ときに厳しく叱れしながら、歩ませてもらってきたのてある。それが、いまでは偉そうな口が利けるようになったぼくのほんとうの姿である。

 私が仏法を悦びるようになったのは、おかげでないものは何一つないのだ。

 もちろん、その背後には、如来様の大きな大きな願いがかかっているのである。

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2009年11月 5日 (木)

ちょっと中休み

  輪読法座あと、11月に入ってグーンと気温が下がってきた。

 広島法座が終わってから、祝日を利用して白浜へ恒例の家族旅行にでかけた。もともと出張法座月間が終わり、華光大会のまでの間を利用して計画を立てていたが、(夏に入る予定の)和讃の作業が、かなりずれこんで入ってきた。「高僧和讃」の校正が渡るまでは、作業を第一に専念をするために、なるべくネットは封印している。宿泊も続いたこともあって、ブログの更新も数日滞った。広島でのこと、家族旅行のこと、この間のこともまた触れる機会があればと願っているが、いまはボチボチですね。

 さて、週末は、日高支部法座へ。子どもの報恩講もあります。今回は、子ども会に助っ人参上!ここは月忌(訪問)法座に、大人の法座、そして子ども会と内容は盛り沢山。ただ、寒くなると夜のお参りが少なくなるが、その分、内容を充実させたいね。さいわい、元気な人が加わってくれるので、刺激になればいい。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/hidaka2009-11.htm

 華光会館では、京都支部学習会。Manu.さんを講師に、カウンセリング研修を中心にした継続した集いがある。

http://homepage1.nifty.com/MANU/others/kyoto2009-10.pdf

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2009年10月31日 (土)

超世の悲願

  華光誌輪読法座。10月も終わりだというのに、夏日近くまで気温があがった。日が差すところはかなり暑くて、半袖の人もいたぐらい。輪読にしては、わりとお参りが多くて、いつのまにか滋賀県率があがっていた。

 巻頭言「なぜ私は生きるのか」と、聖教のこころ「大悲心の塊」を読む。未信の方やご縁の新しい人が多いので、最初、声が出づらいかった。どうしても、瑣末な言葉にひっかかってしまって、なかなかその心を聞く、受けとることは難しい。もちろん、きめこまやかに読んでいく、丁寧さならば必要だけれども、それには、まずその大意も掴んでおくこもと大切である。これは一般社会でも同じかもしれないが、言葉づらだけにすぐきまった反応してしまうと、大事を聞き損ねてしまいかねない。

 仏法は、阿弥陀様の世を超えた願いをお聞かせに預かっていく教えだ。でも、ぼくたちの頭は、世間の枠組み、自分の経験の範囲、その自分の尺度でしかものは計れない。50歩100歩の人間同士でのやりとりでもそうだ。先を歩む人の高度な考えは、未熟な身に簡単に理解することなどできないのに、自分の目先の知恵で、大評論家のように批判さえしていく。ましてや、超世の悲願なんですからね。どうして、この世にドッブリとつかっている私ごときの狂った頭で理解できたり、計らえたり、わかったりするのだろうか。

 でも、絶対に分かるはずだと、うぬぼれている。実感できると頑張っていく。自分がしっかり聞かねばと、カチカチになっていく。

 だから、19願20願18願と、順番に転じていくのだと常識的な考えに囚われる。簡単に一足飛びにはいかないのだから、ご縁を重ね、聴聞をし、または宿善を積んで、仏道を歩んで行きせえすれば、いつかは18願に転入する日がくるだろう。もし仏道を歩まねば、その日は絶対にこないのだから、努力し、聞法精進していこう思考で、聴聞・聞法している。一見すると、この世の道理にそった常識的な考え方だ。

 もしかすると、19願20願は、自力なのだから、そんな自分の力を信じ、励み、実践していくと、いつかは到達でくるかもしれない。もろちん、それは今生か、次々の生かはわからないがね。しかしである。20願18願は、果たしてこの自力の方向、発想は通用するのだろうか。むしろ、19願から20願、そして18願と常識的に自分の自力の頭で計らっているうちは、絶対に18願・弘願の世界には到達することはありえないといっていい。絶対に、自力の延長、19願から20願の先に、他力の18願はないのである。自力をやりつくさねば、他力に達するなどという常識的な聴き方では到達できないのである。いわば、私の腐った頭で、またはこの虚仮不実の身や心では、絶対にはからいきることのできない、大悲の大願のお働きによら、願力、他力の一方的なお働きでなければ、達することのできない広大無辺の世界があるのだ。それは、19願20願 18願とでも顕すように、他力世界は、私、衆生の方向からではなく、仏様の方向から、一方的に廻向されてくる世界なのである。それは、自力を離れて、他力に帰す以外、つまりは「転」入する以外には、実現することのない広大な本願海であり、摂取不捨のお働きだといっていい。真如に背反し、狂ったように闇から闇へと流転し続ける逃げる私を、どこどごまでも追い掛け続けて、かならずおさめとり、一度おさめとったら、二度と逃すないどそいうお働き、その生きた力そのものを、阿弥陀と名ずけられたのである。阿弥陀様のお心を聞くということは、その生きたお働きに遇い、摂め取られたことにほかならない。不思議にも、虚仮不実の身が、功徳のうしおで満ち満ちるのである。

 こう話すと、求道中の方も、「なるほど」と頷かれる。しかし、その次ぎにはだいたいこんな感想や質問がでる。「摂め取られたいう実感があるんですね。私にはいくら話を聞いても、頭だけで、その実感がないから、私はまだダメだ」と。やれやれ。
 でも、もっと上手もいる。「救われるのが如来様からの一方的な働きならば、私は聞いても聞かなくても同じじゃないですか。それにただ待っているだけなら、無気力な信心になりませんか」と。もうトンチンカンもここもまでくると国宝級だね。

 まったく、お目当ての地獄一定の私がお留守になっている。そして、ただうぬぼれ、ご本願を疑(はからい)ているだけなのにね。

 私ひとりを、この私ひとりをですよ、お目あてにされた南無阿弥陀仏さまに出会えば、すべてが即に分かることなんですがね。それしかないねー。

(ゆうこが、大学で村上速水先生の本を借りてきた。なかなか面白かったが、三願転入を図解されていたのを、少し参考にさせてもらった)

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2009年10月30日 (金)

和讃の作業

  10月は、東京公開講演会、仏青大会、葬儀、そして東西寺院で出張布教に、シンポジウムと法中としての参勤と、慣れないことも多かったが、なかなか多彩に充実した一ケ月だった。明日は、〆の輪読法座だ。そして、月が変わって広島支部法座と続く。同日には、京都でも聖典講座、東海でも支部法座がある。華光会HPの今回の法座からご確認の上、ご参加ください。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/

Img_7545_2   ところで、今月は和讃の校正作業(初校)が大詰めだ。ちょっとブログが滞りの気味なのも、そのせいだ。今月中の約束は少しずれこみそうだが、なんとなくメドはたった。ただし高僧和讃の部分だけだ。浄土和讃の2校目はまだこれからだし、両者の照合作業とあわせると、来月中旬まで続きそう。なんとか、華光大会までにこれは渡したい! それでも、次々やってくる法座や仕事の合間によくやりました(まだ出来てないが…)なーと、自画自賛。
 今回は、作戦勝ち。広げる資料も多いので、道場の明るい窓側に陣取って、校正作業。これはいい。いちいち、片づける必要がない。それに、決めた時間に場所を移動して作業するのは気分がかわる。さらに、心を散るものをもちこまないで、時間を決めて集中した。まあ、道場なので、あとは勤行するぐらいしかないものなー。それなら、大安心Img_7546_2 、嫌いだものー。さいわい、勤行精勤表も付けませんし…。でも、これが書斎なら、ネットはあるわ、気になる本はあるわ、音楽はあるわ、電話はかかるわで、すぐ脇に逸れていく。散乱放逸が得意なんでね。でも、仏様の方へは喜んでは向かわない。仏壇が気になって、気になって、気がつくとお参りしいるということは、絶対にない。恥ずかしい話ですがね。「勤行するぐらいしかないから、はかどるわー」と、ゆうこに言うと、「あとは懺悔するとかね」と言われた。そうだなー。でも、自分のネタではないぞ。「ゆうこの代わりになら、たくさん懺悔することはあるよなー」と切り返したが、でもそんなことしていたら忙しくて作業にならないかもしれない。

 今回は、2~3日で出来る仕事ではない。長期計画で、毎日、時間割りを決めた。出張法座にも持ち込んだり、法座の後でも30分でも座った。普段は、2~3時間程度で、基本は夕方と決めた。ページにすると10~20頁程度のノルマだが、時間がかかるところもある。こんな感じで来月中旬までは続きそうだが、なんといっても形になるので楽しみではある。どうやら、「浄土・高僧和讃」が上巻で、1月の報恩講までの発行を目指しいてる。下巻は「正像末和讃」で、6月ごろになるだろう。先のことだが、お楽しみに。

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2009年10月29日 (木)

布袍

Img_7467  古参同人のおひとりが、「どうぞお衣にお使いください」とご喜捨くださることがあった。実は、ぼくの冬の布袍のたもとが少し破れている。あるところで、床においてあった焼香の火がついたのだ。それを気にかけてくださっていたのだろうか。普通のお寺さんと違い、週末に背広の上に着るぐらいなので、日Img_7466_2常用というわけではない。それで、次はというと滅多いにないので、今回は上等の布袍を新調することにして、合わせて夏と冬の輪袈裟も求めた。結婚式の時以来なので、ウン十年ぶりに、袈裟衣 のお店にお邪魔した。まあ、輪袈裟ひとつにしても、いろいろ、ほんとうにいろいろあって、見てい ても楽しい。ネクタイ選ぶ感覚だけれど、ブランド物のネクタイぐらいはするから、ホイホイとは買えない。さっそく先日のシンポジウムで使わせてもらった。それが、先日、衣が出来上がってきたので、子どものお迎えのついでに立ち寄ってもらってきた。黒ですからね。上物になっても、ほとんどわかりませんがね。なにか気分も晴々してくる。輪袈裟と合わせて、来月からお目見えします。ありがとうございました。

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2009年10月27日 (火)

750回大遠忌法要-法要編

Img_7524  翌日は、750回大遠忌の法要。朝から、慣れない七条の装束を付ける。もちろん、しっかり手伝ってもらいました。

 で、午前中は、いきなりマイクロバスに分乗して、門信徒で宅でのお稚児の定儀宿法座なるものに出勤。これから何があるんですか? よくわからないまま、法要のあと、七条のままて、短めのご法話を担当する。法中も、若いImg_7506 親御さんも、稚児の子どもさんもいるなかで、「手」というテーマ。まず、じっーと手を見てもらう。なんでもする手ですよね、これは。人も殴る、ものも盗む、ご飯 も食べれば、へんなことも、あんなこともしている。そして、この口も、悪口も言えば、グチもこばす、お上手も、おべっかもなんでもある。そこに、広島法座で体験した、包丁をもって人殺しにいく代わりにご法座にお参りされ、包丁握るわかりに、その手に念珠をかけ、相手を罵倒するその口で、「南無阿弥陀仏」を称えられた例話をもとに、さるべき業縁もよおさばいかなる振る舞いもするこの手(身)で、またこの口(口)が、合うはずのない手が合わさって合掌し、称えるはずのない口から「南無阿弥陀仏々」を称える不思議がおこる。しかもその私の心(意)、その中では、常に殺人も、盗みも、強姦も、親や先生殺しも、なんでもありにもかかわらず、その心をお目当てに、飛びこんきてくださった南無阿弥陀仏が、その泥沼に清浄真実のはすちを咲かしてくださる。その姿に動かされて、南無阿弥陀仏がとび出してくださるというようなことを話した。

Img_7503_2  短い昼食のあとで、また七条を付けて、午後からが本番の稚児法要。とても盛大で、七条の礼装の僧侶だけで40名。そこに会行事や奏楽員を入れると総勢で50名の規模。しかも、御連枝寺院の中でも、ご門主まで輩出している大阪の御坊からご連枝を招き、住職が「親鸞様のご子孫なんだから、威張っといてや」というお方の側に、ぼくみたいなややこしいものを配置するのだから、これはかなり妙な感じ。当然、生まれ初めての内陣出勤。正直、差定(さじょう)の専門用語に、「わかりません!」というものもあったが、いちいち質問して足手まといになってはいけないので、とにかくお隣さんの真似をし、前の方の真似して、どうにか、出勤も、お練りや行道も、少々テンポ遅れたり、ときにフラフラ転びそうになったり、そして、お邪魔にならないようImg_7512 にと省エネモードで勤行に参加し、それでいてお練りでは、こっそりデジカメを撮るわで、まあ楽しんできました。一応、どうにか足手まといになるようなボロもださずに、「かりもんさんの七条姿も見慣れてきましたわ」と、笑われながら、なんとか終了。まあ、かなり真剣なコスプレというところですかね。長時間に渡って、きっちりこなす僧侶の世界もなかなかたいへんです。それに、伝統の様式美や声明のすばらしこさに少し触れさせてもらって、このことも含めてちょっこと味わうこともありありでした。

 あと、普通のお寺なら、着替えてご満座になり、法話聞かずに三々五々帰っていかれるが、ここでは、法中全員で聴聞し(法中席が前に設けてある)、それが済むまでは帰さないという徹底ぶり。これは当たり前のことで、ご聴聞を大切にされる、このお寺のいちばんすばらいしところ。そのサナム師のご法話と、最後を締めくくる義円師のすばらしいごあいさつで、公式行事は終了。

 あとは、お楽しみの超豪華なビンゴゲーム。なんと住職と共に行くちょっとビミョウな沖縄八重山旅行5日間が、4名にあたり、他にもギターにサンシンに、カーナビやホームベーカリーなど、どれだけ金持ちなんーというものが続いた。でも、これはまだ序の口。いちばん特選賞は、いの一番にビンゴした人に、すばらしい商品が用意されていた。「来月の報恩講法座(3日間)の悟朗先生のご法話を、ポールポジション(最前列の特等席)で聞ける権利」という(バツゲームかー)ものだった。しかもその幸運が、ある時のぼくのご法話を聞いて、ご聴聞の姿勢が変わったというシンポの進行役の方に適中。何度も、「ぜひ華光にもお参りします」といっておられた方だったので、これは御仏のお計らい以外なんとも考えられんなー。

 そして、終了後の打ち上げでも、鄭光均(ジョン・カンギュン)さんのオカリナ演奏を間近で聴かせてもらい、盛り沢山の2日間の締めとなった。

 でも、いろいろなことを味わったあとは、寂しい気持ちになるんだなー。ひとりになっていろいろと味わいたい自分がいますね。どうも、ぼくの根は常に孤独なんだー、これが…。 

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2009年10月26日 (月)

750回大遠忌法要-シンポジウム編Ⅰ

 山崎町西光寺での親鸞聖人750回忌大遠忌法要。予想していた以上に盛大な規模で、お寺の前には出店もでて、境内には櫓が組まれて、ほんとうに地域のお祭りの装い。

 用心して早めに出発したのに、予想以上に高速が渋滞。もちろん、渋滞する区間は、大都市圏で割引の対象外。時間がかかった上に、料金は2,100円というのだが、ちょっと割に合わせない。まあ、それはともかく、打ち合わせに1時間も遅刻し、他の先生方を待たせしてしまって、ちょっとばつが悪かった。でも、皆さん、大人で、快くお向かえいただいた。

Img_7502  全体の統一テーマが「愚禿」、シンポジウムは「南無阿弥陀仏」。進行は、司会の亀井鑛先生におまかせし、それぞれが自分と、お念仏や浄土真宗との出会いを、具体的な体験や実例を中心に語り合う程度の簡単な打ち合わせをした。ここの住職の義円師とのご縁がある以外、全員が初対面だった。今回のシンポには、彼の思い入れが強烈で、お金(相当なもの)も、時間もたっぷりかけて計画し、やっと実現したようだ。だから、皆、なんらかの宗教的な体験なり、実践経験があり、外側の権威ではない人たちが集められていた。面白いことに、生まれながらの寺院僧侶や布教師はいない。唯一、ぼくが僧侶で、専門的に真宗学を勉強しているぐらいだが、もちろんそんな縁でここに座っているわけではない。有り難いことImg_7530_2に、先生方とは、2日間ご一緒だったので、かなりいろいなことを聴かせていただき、心理的 な距離はとても近づき、いろいろと学ばせてもらう機会になったとこを感謝したい。最後は、皆さんとハグをしてお別れした。

  コーラス隊がはいった盛大で厳粛な音楽法要のあと、約2時間30分ほどのシンポの開始。まずは、それぞれのいまの思いを語り合い、そのあと、南無阿弥陀仏に出会いについて語った。

  ソナム師は、インド生まれで、チベット僧の父からチベット仏教を学び、何年も瞑想行をおこなってきたチベット仏教の高僧だった。それが、ブッダガヤでの向坊師と出会いが、浄土真宗との決定的な出会いとなったそうだ。ご承知のとおり、向坊師は、交通事故で首Img_7520から下が麻痺し、不自由となって車イスに乗っていられた。不自由な姿に、平癒的なお願いにこられたと思っていたら、「わたしはうれしい、悦びで一杯。そのことをお釈迦様にお礼に来たのだ」と言われて、驚いたそうである。しかも、彼が喜んでいた信心の世界も、また驚愕だったという。厳しい修行をしても消えない煩悩に苦しんでおられたソナム師にとって、その煩悩がお目当てという浄土真宗との出会いは衝撃的だった。しかも、それは南無阿弥陀仏のおいわれを懇ろに聞くことにつきる。そこに無量のパワーがある、その悦びに出会ったものは、その悦びを広く伝えていきたいと、とてもエネルギッシュなお話だ。2月にせっかくカトマンズにいきながら、チャンスがなかった、カトマンズ本願寺の所長として、ネパールで浄土真宗のみのりを布教されている。

  北九州で「夜の子ども相談室」代表、カウンセラーの外松太恵子先生は、(正統な)浄土真宗や子育てや青少年育成の野では売れっ子のおひとりで、皆さんもよくご存じのお方。文章でしか存じあげなかったが、お会いしてみてオープンなお人柄や即意味妙なお話ぶりが素敵だった。その場、その場で、常にありのままの自分でおられる感じがするし、子どもたちの面接にしても、外見や目の前の問題行動ではなく、目には見えない子どもたちの可能性に寄り添ったカウンセリングの様子を、感動的な具体例で伝えてくださった。ぼくにも隣接する関心事なので、控室でも長時間お話を聴かせていただいて、いろいろな温かい事例、ご家庭の様子、失敗談など、いろいろと聴かせていただいた。生まれながらの、浄土真宗との自然な出会いについて語ってくださった。

 もうひとりは、地元の女性で、以前もこのご法座でお会いしてことがある藤本千穂美師。なにごとにも、率直に語られて、足しげく聴聞し、またお聖教も学んでおられた。子どもの時から、かなりコアをキリスト教を守護する家庭で育ち、罪を重ねて「地獄に落ちねばならない」というたいへん辛い宗教心理だったのが、南無阿弥陀仏への回心体験を経て、ほんとうに楽で、安心して悦びの生活を送っている浄土真宗に出会ったその悦びを、自分のところで語ってくださった。ただ、ぼくとしても、彼女にもう一歩出てお伝えしたいところがあったが、今回は、人のことはほっておいて大人しくしていた。 

Img_7482  ぼくは、もちろん、後生の一大事と、廃立の2本での直球勝負だ。ぼく自身が、南無阿弥陀仏に出会た一連の体験をごく普通のこととしてお話した。その出会いは、助かる(往生極楽)自分ではなく、落ちていく(地獄一定)のところでしかなかったこと。「落ちる」のが怖くて求めていたのに、結局、「落ちていく」ことで満たされたこと。それは、お念仏に出会ったいまもまた、自分を詰めて問うのなら、その姿は何も変わっていないこと。しかし、南無阿弥陀仏(本願)に対する疑い(計らいの方がピッタリくるか)は、不思議にもすっかり晴れ、後生がハッキリしたという点に絞ってお話した(だって、落ちていく私のところに阿弥陀様はおられのだものね)。結局、他人のどんなにいい有り難い話も、たとえ楽に生きていけても、自ら、自分の後生を問わなければ、単なる生き方の延長、生活上の真宗でしかない。しかし、現状は、この2点に焦点を当てて聴聞できるお寺はまず稀有だというのが、悲しい現実である。当然、その手の僧侶や同行も育っていないのだがら、まずそこから始めるしかない。現状を歎いてる暇はない。

 結局、いろいろな方のお話を聞いていると、ぼく自身が出会った浄土真宗が、どこにあるのかの位置づけがハッキリわかってくる。共通の土壌もあばれ、またそれぞれの違いもハッキリしてきて、ぼくには面白かった。翌日の法要の結衆として参加させてもらったこととあわせて、また詳しく書きたい。

 個人的には、もっとパネラー同士でのかかわりや、フロアーとのやりとりがあったほうがよかったと思った。でもぼく自身も司会者に遠慮があったし、DVDの撮影などで制約もあったようだ。ただ、もう少し自由度があり、外れた質問があった方が、それぞれの個性がもっと立ち上がって、面白かったのではないか。それでも、無味乾燥な教義や言葉のやりとりではなく、それぞれが自分の体験や、実践例や具体例が豊富で、なかなか味わい深いシンポジウムなったようだ。余談ながら、外松先生が、「前の方に、とても反応がよい女性の聴衆がおられましたね。泣いたり、笑っImg_7497 たり、大声で反応したり」と仰った。「ああ、それうちにお勤めのT山さんという方です」と。まあ、どこにいっても、彼女の反応は評判いいんでしょうね。確かに、話し手としては、無反応がいちばん話づらい。

 初日は、このあと、盛大な餅まき(10メートル上から、固いもちがバラバラと落ちて来る。ボーとしていたらケガをする)、ホテルでのレセプションがあって、いろいろな方のお話が聞けてよかった。
 そうそう、「ブログ見せてもらってます」という方もおられた。S君、ありがとう。そしてお疲れさまでした。お返しに、餅をゲットされたお姿を、ビミョウに入れておきます。(続く)

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