真宗法座の集い~体験告白からのグループ分け~

  真宗法座の集いは、少人数(20名)を厳守し、全日程参加を原則としている。少人数のグループに分かれて、座談会をじっくり行うことに意味があるので、法話もない。信・未信に関わらず、それぞれが自分の課題をもって臨み、創造していく法座だ。  コロナ禍でも休まずに開いていたが、やはり人数は少なめだった。今年は久々に定員まで集い、懇親会の参加も多くて盛り上がった。華光会館での公式な懇親会(非公式ではあったが)は、やっぱりいい。徐々にではあるがもとの形態に戻りつつある。ただこの3年間、参加しなくなった人の出足は戻らない。このままフェイドアウトしていかれるのだろうか。それではあまりに寂しい。  さて、今回の集いの進行は予想外の展開となった。毎回、グループ分けに時間がとられる。無駄に見えても、それぞれの居場所を確かめていくことに意味があるプロセスだ。ただ、2日間という限られた時間の中では、長時間、相談が続...

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飛騨大鍾乳洞

 高山には会館の車で向った。京都出発組は、ぼくは黒一点。女子会の様相で賑やかだった。しかも京都の大学にゆかりの方ばかりで(在学中か、出身者)で、共通の話題もあったよう。高山でもう一台と合流し、法座まで高山見物をする。高山が初めての方もあったが、定番の古い町並みではなく、郊外の鍾乳洞に向った。会場の前から鍾乳洞に向う看板があって、1本道を奥飛騨温泉郷に向けて進んでいく。距離はあるが、もっと山道を想像していたが、観光ルートにもなっていて道の左右には土産物屋や飲食店、民宿が続いていた。数年前に、拡大壮年の集いの会場もこの方向にある。  飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館も、土産物屋が並ぶ観光地で、他の客も多かった。大橋コレクションという世界の美術品を展示された美術館もあった。以前、展示されていた金塊が強奪されその後取り戻したもののて、いまはその経緯とレブリカが展示されていた。  そして鍾乳...

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高山支部・仏教青年会合同法座

  コロナ感染拡大の影響で、会館以外での宿泊の支部法座は、支部限定が中心であったが、久しぶりに合同法座。しかも高山支部と仏教青年会だ。今、高山支部は高齢化が進み、毎年のようにご往生される方があって、支部単独では盛り上がりにかけている。もう一歩となると、受け身の方が多い。それでも富山や北陸からの聞法者が来られたら盛り上がるのは、法の威力があるからだ。  今回は、仏青の皆さんが集う。仏青も、ある年代の方が抜け一気に寂しい状態になっていた。それが、徐々に子供大会出身者を中心に、学生世代(10~20代前半)の方が集まりだしてきた。今回の高山も、元子供大会出身者が集うメリットで企画された。おかげで、仏青も二桁の参加者は久々だ。高山の仏青の方がお世話をくださったのも有り難かった。高山支部の方も、差し入れや準備やらでお世話になった。ありがとうございました。  今回もF家が会場だ。最近は、コロナもあって、...

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今熊野神社

   NHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」を観ている。子供のころから歴史物が好きで、大河ドラマも観てきた。あまりテレビ番組には関心のない娘二人も、喜んで観ていることだ。アニメ『平家物語』の影響が大きいか。  親鸞聖人や法然上人が活躍された時代。関連する人々がしばしば登場する。毎日、経典を開かれない日がなった法然上人が、唯一出来なかった1日が、木曽義仲が平家を京都から追放した混乱の時だというエピソードが残る。やっと登場した九条兼実公が、意外の人が演じ「エー」という違和感。以前、映画で、一遍上人をウド鈴木が演じたほどの衝撃はなかったが、真宗念仏の大恩人である兼実公には思い入れはある。これからは、承元の法難の時の帝だった後鳥羽上皇が、敵対する主役となっていくのであろう。  さて、博物館へは自転車で出かけた。東大路通の高架を下ると、東福寺、泉涌寺、今熊野と続いていく。東福寺には、僕が生まれ、父が...

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「最澄と天台宗のすべて」~伝教大師1200年大遠忌記念~

 もう終了しているが、5月に京都国立博物館で開催されていた「最澄と天台宗のすべて」を観てきた。 伝教大師最澄の千二百年大遠忌を記念した特別展だ。昨年の聖徳太子の千四百年の大遠忌に続いて、日本仏教の偉大な高僧の大遠忌が続いている。伝教大師は、平安時代に比叡山延暦寺を開き、天台宗を広め、それ以降の日本の仏教の発展につながる最大の功労者であり、仏教界最大のスーバースターの一人であることは間違いない。ところが、同世代のライバルでもある弘法大師空海の人気に比べると、功績ほどの名声は、一般では低いかもしれない。このPCでも「弘法大師」は一発変換できるのに、「伝教大師」は「電業大師」となってしまう。しかし、空海の密教に対して、顕教の天台宗だが、同時に密教(台密)も盛んで、日本浄土教もここで花開く。鎌倉新仏教で開祖となる高僧方(法然、親鸞、一遍、日蓮、道元)もすべて比叡山で修行したことは有名である。比叡...

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「必要・十分条件」省略されている重要なこと(3)

 以上踏まえて、諸富祥彦氏は次ように指摘している。(『カール・ロジャーズ入門』~自分が自分になるということ~P211引用) 「重要なのはただ一点、クライエントが「この人の前では安心できるし、よい子を演じなくても受け入れてもらえる。ありのままの私を認めてもらえる。私の感じていることを一緒に感じてもらえるし、しかも単に仕事上の義務からではなく本心からそうしているようだ」と感じるような「関係の質」を提供することだと考えています。それに比べれば、知識や学位や資格などは、一切本質的な重要性をもたないというのです。しかもそれは、どんな問題を持ついかなるクライエントにも通じる真理であり、学派の相違を越えてあらゆるカウンセリングに通じる真理だというのです。 この大胆な主張こそ、ロジャーズの「態度条件説」の真骨頂があります。」  同 諸富祥彦氏の指摘(上同~P307引用)「カウンセラーの態度こそ唯一本質的な...

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「必要・十分条件」省略されている重要なこと(2)

(3)サイコセラピーは、日常生活の中で起こる他のすべての人間関係と種類の違う、特別な人間関 係であるとも述べられていない。  たとえばすぐれた友情関係などの日常の人間関係においても、たとえ短期間であっても、この六条件が満たされれば援助的である。つまり日常的な人間関係にも本来存在している建設的な性質を深め、時間的にも拡大したものが、この条件だという主張である。 ※逆からいえば、六条件は、カウンセリングや心理療法のみならず、親子関係、友人関係、夫婦関係などの日常的な人間関係が、「よい関係」であるときに当てはまるのである。「暮らしの中のカウンセリング」「育ち合う人間関係」という名称にも現われる。 (4)特別な、知的な・専門的な知識-心理学的な、精神医学的な、医学的な、あるいは宗教的な- がセラピストに要求される、ということも述べられていない。  特殊な専門的知識の獲得がセラピストの本質的な条件で...

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『必要・十分条件』省略されている重要なこと(1)

 昼間の輪読法座に続いて、真宗カウンセリング研究会の月例会。  会館には3名だが、ZOOMは12名の参加がある。  僕自身3度目の『必要にして十分条件』を読んでいる。終盤だが、担当することにした。六条件が終わって、「どんな意味があるか」の章である。六条件では語られなかったで、逆に深い意味があることを示す大切な章だ。レジュメがあるので、簡単に要約しておこう。  建設的なパーソナリティ変化をもたらす必要にして十分な条件として、六条件を述べ終えた後、「セラピーの必要な条件について述べられた公式に、何か驚くべき特質があるとすれば、それはおそらく省略されているいくつかの要素にあるであろう」と続けて、省略された重要な要素、つまり述べなかったことで、逆にその本質、特質が明確になってくる重要なこととして、、以下の5点を挙げている。 (1) ここにあげた条件は、あるタイプのクライエントに適用されるものであっ...

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御同行、御同朋との華光誌輪読法座

 水曜日、昼座の華光誌輪読法座  時間になっても参詣の形跡がない。道場にあがると誰もおられない。Fさんが洗面所から戻っられたが、まだ1人。少し遅れてOさんもお出でになった。母の定期検診と重なり連れ合いも送迎に出る。近鉄電車の事故の影響もあったが、ここまで少ない法座は初めてだ。「私達だけならお休みしてもらっても…」とご配慮下さるが、それは逆である。土曜礼拝、京都支部法座、そして水曜日の華光誌輪読法座と、連続皆勤されているお二人が、ぼくに「仏法聞けよ」と現われて下さった菩薩方である。華光誌を3人で、丁寧に読ませてもらい、またお聞かせに預かった。「正信偈の大意」(9)で、信心の五徳の、3番目の心光常護、4番目の横超五趣で、3つの心(黒い心、白い心、暗い心)の説明がある、ご聴聞のポイントにもなる箇所だった。  前半が終わったところで、Nさんも加わる。近鉄事故で2時間も待たされたという。お疲れ様でし...

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京都支部法座~耳の痛いはなし~

 京都支部法座は、永代経法座でのご法話でお聞かせに預かった『涅槃経』の「一切衆生・悉有仏性」の「仏性」について。浄土真宗の立場からお取り次ぎをさせていただきた。これはしばらくどの法座でも味わっていこうと思っているテーマだ。  今回は、冒頭、永代経法座の余韻から、「聞」の一字を取り上げた。皆さんへの質問から始めた。日常の聞くことと、浄土真宗の聞くとは同じなのか、違うとと思うか。もし違うとするのなら、どう違うのか。軽く尋ねて終わるつもりだったが、皆さんが次々と意見を出してくださり、これがなかなかユニークでこのテーマだけで、前席が終わってしまった。  大半の人が、器用に今生の聞と、仏法聴聞での聞を分けておられるのに驚いた。人によっては、カウンセリングの場の聞も別だという方もある。確かに、それぞれの言い分はあろうが、分けること(分別)によって生活と仏法かバラバラになっているようだ。それで味わいも薄...

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5月は土曜礼拝

 久しぶり日曜礼拝のご法話をした。厳密には、土曜日なので、土曜礼拝である。来週、5月21日が親鸞聖人のお誕生をお祝いする御誕会である。しかも、来年は、ご生誕850年(並びに立教開宗800年、『教行信証』が一応の完成を見たときから数える)にあたる。前回の、ご誕生800年(誕八)は、ぼくにとっては忘れられない行事となった。その思い出にも触れながら、聖人のお誕生から、法然聖人とのお出会いの前半生をお話した。 4日間の永代経法座が終わって、すぐ聖典講座、カウンセリングWSと続き、土曜礼拝で、明日日曜日は京都支部法座である。京都や大阪の皆さんも、法座続きで大変である。さすがに、今日のお参りは少なかった。先生、子供たち以外の大人の分級は、会館の4名を除くと3名だけである。0さん、Fさんは、近所の常連。お花やトイレ掃除に、毎週1度は顔を出して助けて下さる方である。日曜礼拝の分級座痰会は長い。このメンバー...

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今月2度目の新月断食

 新月断食を初めて2年以上が経過したが、初めて一ケ月に、新月が2度ある月となった。永代経法要の前日の5月1日と、真宗法座の集いの翌日の5月30日だ。月の満ち欠けは28日周期なので、そんな月もあるのは当然なのだか、1月の2度目の断食となった。カレンダーを調べてみると、今年は1年で13回の新月がある年だった。明治時代、これまでの太陰暦から太陽暦に変わったのは、1年が13ケ月あって月給を13回支支払わねばならない前に、太陽暦の毎年12回に切り替わったという説をどこで聞いたことがある。真偽を確かめたことはないが、もし太陰暦なら、今年は13ケ月(閏月)の年ということになる。  さて新月断食の方は、法座の翌日ということで疲れていて、いい休養になった。華光会館でも久しぶりに懇親会をもったこともあって、結構、飲みすぎた。おかげで、あまり苦にならない断食日でした。  ...

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