2009年7月 9日 (木)

宿善の機は捨てもの

 法座のあとの懇親会で、求道中の方が、「『宿善を捨てる』ということはどういう意味ですか?」と、質問された。

 先輩同人にそう言われたというのだが、「宿善は積むもの」だと思っていたので、さっぱり意味が理解できないという。それで、質問に即答する前に、いまのご心境を尋ねてみたいと思って、

 「阿弥陀様を疑っていると思いますか」と、尋ねた。

 「いいえ。もちろん、私は信じています」とのお答え。

 もしその程度のご聴聞なら、この問いかけを理解するのは、難しかっただろう。

 真宗の信疑廃立の疑いは、世間的な「信じている」「信じない」という相対的な信ではない。他力回向の信は、私が確かだと絶対に信じる信でも、「ほんとうな ? 」と疑問いだくことを疑いというのでもない。「私が信じる」ことを根拠している限りは、無根の信とは言い難いのだ。「南無阿弥陀仏」まことに出会って、迷いのたましいの葬式がすまないことには、どんなに強く信じている訴えても、疑い=自力のはからいで、弥陀の本願をはからっていることになるのだ。 

 とはいっても、この方は、まだそこまで一足飛びにいきそうにはない。それで、理解を得るために三つの心(黒い心、白い心、暗い心)を説明して、『念仏の雄叫び』の暗い心のところを読んだ。

暗い心というのは、このもらいものの「白い心」を、自分の側で製造しようとする、大それた心です。暗いというの、後生に向かって暗いという。この暗い心は、真剣に求道聞法しないと気付かない。また問題にもなってこない。自性の黒い心にきづかされてくると、因果応報のどうりで、今まで問題にしなかった地獄、後生が問題になっくてる。また遠くに眺めていた無常も、身近に感じられるから、「後生は?」となると、不安な心もでてくる。それで、なんとかしようと、お救いに手をです。しかし、安心ができない。だから、なお計らいをつのらせる。それでこれを「後生難儀の機」とも 、「本願疑情の機」ともいう。つまり疑いの心です。それゆえ、「捨てもの」といわれるます。

  反面、これを「宿善の機」ともいうのです。疑い、計らい、自力の心ともいうのは、捨てものなのに、なぜ宿善の機というのか。はじめに、真剣に聞法求道せぬと、気付かないと申したように、この暗い心が、心配になり問題になるまでには、随分とお育てのお手間がかかっている。私の性得(しょうとく)の黒い心というやつは、お救いなんて問題にする心でない。「仏法を聞こう、後生が大事、信心や念仏じゃ、これでいいのか、どう聞けばよいのか」などと、殊勝にしんぱいする心など、ツユ持ち合わせてはない。それが苦になる心が出て来るから、宿善の機というのです。
「どうぞ、聞いておくれ、どうぞ、どうぞ」の仏願が、無漸無愧の悪魂ににじみ出、浮かび出てくださった心です。とても、私の甲斐性で知られたのものではないのです。それだのに、そこを思い違いをして、お育てのご恩を横取りにして、なんとか晴らそうにかかる。それで、また「捨てもの」ともいわれる」

  そして、そのあと、黒い心、白い心の二面に働きかける暗い心の働き、仏敵の心について詳細にお示しされるので、よく熟読ください、とお話したら、

   「いろいろと捨てるものがあるんですね」との感想。

  いや、捨てるものはひとつしかない。自力の心というのも、宿善の機というのも、疑いというのもは、そして暗い心というのも、ひとつである。でも、そのたったひとつのしぶといしぶとい仏敵のために、「私は信じています」の心で、南無阿弥陀仏を疑い続け、迷いに迷ってきたのである。

  これは、『念仏の雄叫び』の「宿善を捨てる(P159)」の項目にもあるのだが、この心こそ、私の聞法、求道の原動力のようなものだから、それを捨てることはま,ことに惜しい。だって、念仏や聴聞を捨てたら、地獄に落ちねばならないのだものなー しがみついていたい。でも、自分の都合や手柄はよく見えるけれども、そのおおもとの阿弥陀様の願いは、まったく無視して、いつも自分の都合で考えることができないのである。

  実はその心こそが、わが心をあてにしている自力心なのだ。

「自力のこころをすつというは、ようよう、さまざまの、大小聖人、善悪凡夫の、
 みずからがみをよしとおもうこころをすて、
 みをたのまず、
 あしきこころをかえりみず、
ひとすじに、具縛の凡愚、屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら、無上大涅槃にいたるなり」。

と、親鸞さまも仰るが、どこまでも、自分の「よかった、悪かった」に固執し、そのこころで弥陀の本願を聞いているのである。
 「有り難いお念仏が溢れて」よかった。 
 「阿弥陀様のご苦労が身にして」よかった。
 「またっくシラケた心しかないから」ダメだった。
 「熱心なお勧めなのに念仏がでないかったから」悪かった…と、
結局、阿弥陀様の尊いお心に触れても、なお自分の「よかった、悪かった」とやっているだけだ。実は、有り難くなろうが、しらけようが、「私」が判断しているすべてが、まったく役に立たない自力の心だとお聞かせに預かっていくしかないのだ。しかし、立派な、ハッキリした信心をいたがねばと、阿弥陀様のご苦労を足蹴に頑張っている。その頑張っていることこそが、地獄行きの自己の値打ちを忘れた邪見驕慢の姿にほかならないのである。

「邪見驕慢の悪衆生

  信楽を受持すること甚だもって難し」。

 私の力では自力は捨てることはでいない。血は血で洗えないのである。つまりは、絶対に私は聞き開けることはないのである。

 ならば、「どう捨てるのですか?」と、質問する暇があるのなら、小さな喜びや信心にしがみつかずに、真っ逆様に落ちていくのだ。

 それが、宿善を捨てることじゃないのかなー。  

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2009年7月 8日 (水)

今週は盛り沢山

 今週から、和讃の校正に入った。とりあえず、浄土和讃のみである。

 講義のためのプリントなので、かなり省略されていたり、荒い表現も多い。本来は、その大部分が口頭で補われていたわけてある。といって、気になる箇所をすべて補足していると、ますます大部になってしまうので不可能。とりあえず、階層化と、格段の様式を統一していく作業で、不足分を補っていく程度に留めたい。やっと手をつけだしたところなのだが、なんとかなりそうな気はしている。追加は最小限と思っていても、せっかくなので手を入れたくなってくるなー。

 さて、今週末は、大きな宿泊行事はないが、その分、小さな行事が目白押しで、大忙しである。特に、華光会館では、京都支部、日曜礼拝、仏青法話会と続くので、若い人のお参りが増えるようだ。

1)高山支部法座:10日(金)夜7時~11日(土)朝9時~、昼1時~の3座

 内容:高山支部法座は、年に4度で、いつもは3月と12月の寒い時期にお世話になっている。今年は、初の試みで7月に法座を加えてもらうことになった。ただ、日曜日の都合が付かず、平日の夜にかかっている。遠方からのお参りは少ないようだが、その分、高山支部の方にじっくりかかわれるのは、いいんじゃないかなー。法話のテーマは、「仏のなる木」、「凡夫が仏になる」の2座に、68-3号(最新号をご持参ください)の『全徳施名の心』の輪読を予定している。「仏」ということで、統一したテーマになった。ちょうど、仏の子供大会のテーマも『仏さま』で、偶然の一致。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/takayama2009-7.htm

2)京都支部法座:11日(土)昼1時30分~5時

 会場:華光会館(3階研修場)

 内容:先生をお招きせずに、お同行さんの講話と座談で進行。 前年に引き続き、『聞くということ』がテーマ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/kyoto2009-7.htm

3)日曜礼拝:12日(日)朝10時~12時

 会場:華光会館(2階道場)

 内容:土曜日の京都支部と連続で、日曜日は日曜礼拝。今月は、子供大会の関係で、日曜日の予定が付かず、午前中のみ。開始時間にご注意!

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/nitirai2009-7.htm

4)仏教青年会:12日(日)昼1時30分~4時30分

 会場:華光会館(3階研修場)

 内容:子供大会前の恒例の、若手先生による法話会。子供用と思って侮るなかれ。毎年、聞かせていただきます。今年のテーマは『仏さま』
 終了後、子供大会のお世話役先生で、打ち合わせ会も行なう。よく考えると、金曜日・土曜日に加えて、日曜日も朝、昼、そして夜までと、大忙しの日程になってしまった。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/bussei2009-7.htm

5)大阪支部法座:12日(日)昼1時30分~4時30分

 会場:生駒市:セイセイビル(近鉄生駒駅前5分)

 内容:日曜日はもう一つ、大阪でご法座。と言っても、会場は奈良県生駒市。増井悟朗先生がご講師。奮ってお参り下さい。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/osaka2009-7.htm

 あと、法座案内には出ていないが、

6)東海支部座談会が、12日(日)昼1時~5時、碧南市のお寺で開催。詳しくは、東海支部か、華光会館にお問い合わせの上、お参り下さい。

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2009年7月 7日 (火)

『幼獣マメシバ』+『ユアン少年と小さな英雄』~最近みた子犬たち

 映画館で予告をみていたら、「ハチ~」と、駅から出てきたリチャード・ギアが言っていた。忠犬ハチ公のハリウッド・リメイク版だ。『ギルバート・グレイプ』、『サイダーハウス・ルール』、そして『ショコラ』と、ラッセ・ハルストレム監督は好きなのだが…。これは、ちょっとご勘弁いただきたいという雰囲気。

 でも、何も忠犬ハチ公は、日本だけの話しでないことを、昨日知った。
 洋の東西をとわず、忠犬はいるんだなー。

405pxgreyfriarsbobbyedin_2   みなみ会館の会員招待で『ユアン少年と小さな英雄』を見た。 

 1858年、エディンバラのスコットランド。ジョン・グレイ巡査が、教会墓地に葬られた。彼の飼っていた忠犬は、死去するまでのなんと14年もの間、亡くなった主人を側を離れず、その墓地を守り続けたというのだ。そんなボビーの姿を一目見ようと各地からたくさんの人が集まり、今日でも墓地には花が手向けられ、また渋谷駅の忠犬ハチ公像のように、スカイテリアのボビー像が立って、観光名所のひとつになっているそうだ。(ネットで見つけた銅像の写真を転載したけれど、ちょっと怖い感じだー。映画の犬はかわいかったです)。

Yua4  映画は、19世紀のスコットランドを舞台に、その忠犬(テリア犬ボビー)の実話をもとに、当時の下層階級に劣悪な社会状況をまじえながら、小犬を通した、ひとりの少年の成長を見守る心温まる物語に仕上がっていた。

 地元の警察官ジョン・グレイが飼っているテリア犬、ボビーは、逃走した牛に立ち向かったり、強盗犯との格闘したりと、愛くるしい小さな体ににあわず、勇敢な名犬だ。この犬に愛着を感じたのが、近所に住むユアン少年。母子家庭で育つ彼は、シャイな男の子。貧しくて、学校にはいけず、小さくして過酷な工場勤務を始めるであろう少年に、グレイは書物を与え字を教えた。唯一の友がボビーだ。

 ところが、飼い主は若くして病で帰らぬ人となる。ユワンはボビーを引き取ることを託されていたが、ボビーは、エディンバラの教会墓地に眠る主人のそばで暮らすことを望んでいた。だか、教会墓地には、犬を持ち込むことは、法律で禁止されていた。さらに、貧しいユワンの上に、過酷な試練が次々と遅いかかるのだった。おお、このあたりはスコットランド版「男おしん」物語。かわいそすぎるぞ。

 彼らは、豊かな資本家が、貧しい労働者を搾取し、さらに下層のひと達は、十分な社会資本の恩恵も、教育の機会も得られず、劣悪な環境の中で生きるしかなかったのだ。そんな資本家や権力者に対して、正義感に燃える神父がひとり立ち上がった。彼は、教会墓地の管理人でもある。彼の説教の合言葉は、なんと「Change」(変革だ!)(=ちなみに、オバマさんより、2005年のこの映画の方がずっと前)。そして、ホビー目当てに訪れる、多くのひとたちに、旧市街の現状を謳えるのだった。当然、守旧派にとって邪魔者のボビーは、あらゆる手を使って排除されようとし、とうとう法律を立てに飼い主不在の野良犬として、処刑されることになるのだった…。

  だが、ユエンの機転と勇気によって、思いも寄らぬ強力な助っ人があらわれるのだった。

  まあ、こんな感じかなー。要は、「小動物に、子供。過酷な試練と、成長…」、ありふれた人気の出る要素は一応揃えておりますが、それなりに良質でした。

Mame   ついでもう1本小犬つながりで、テレビ版もあり、ヒットしている『幼獣マメシバ』。これもみなみ会館で見た。

 生まれ育った小さな町から一歩も外に出られず、両親の実家で暮らしている、35歳のオタク、ニート男。ところが、人生なんて半径3キロ以内で事足りると信じ、自分の部屋で、パソコンと、うまい棒に囲まれて生きていることこそが、彼の安心、安全のリアリティーのある世界なのだ。ところが、彼の父親が突然の死亡。しかも、それを機会に、母親までが失踪してしまう。まるで、幼い日の隠れん坊で、鬼に見つけてもらうのを待っているかのように、彼女も居場所のヒントになるハガキがせっせと送ってくる。そして、もうひとつ彼のもとに届けられたとんでせないもの。それが、かわいいマメシバ(豆柴犬)だった。このマメシバに導かれ、親切な友人に出会い、母を訪ねて三千里(?)の人生初の珍道中が始まっていくわけ。

 ちょっとご都合主義でもあり、またはステレオタイプで閉じこもり男を描いているようでもあるけれど、かわいいワンちゃんと、彼の存在が、面白いと思えば、これは十分楽しめるでしょうね。ある種、鋭い観察力と、屁理屈の能力は人一倍で、存在そのものがユニーク。でも、あまりにも繊細、あまりにも微妙な人の空気まで読めてしまうんですね。こんなに感じすぎたら、確かに人づきあいはしんどいだろうなー。

Img_6177 もし、大のワンちゃん好き以外の方は、テレ ビ上映された時に、お暇ならご覧ください。わざわざ映画館に行ったり、DVDまで借りなくてもいいかなーと。テレビの題材としては、面白くて、良質と感じたけれど…。あと、大の中年ニート好きの方は、ぜひ映画館で。

   おまけ。この子は、先日撮影させてもらったM家の愛犬「願」ちゃん。でも、願ちゃんに「ブログに素顔を載せてもいい?」と、了解を取り忘れたので、後ろ姿のみでゴメンなさい。

 
 

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2009年7月 6日 (月)

ディープな世界へようこそ

 親子3名で、伏見にある堀田医院へ。もともと、七を出産したあゆみ助産院の紹介で教えていただいた。

 長らくご無沙汰だったが、何年ぶりかに、七を連れて出かけた。このところ、足の後ろや腕ののアトピーがひどくて、寝る前や寝起きにひどく掻いているのだ。そのついでに、ぼくも、長年治らない首の後ろの湿疹をみてもらうことにした。

 でも、この先生、そんじょそこらの内科医じゃないことは分かっていた。それは以前からだったが、それがさらに進化しつづけている感じで、異様な迫力がある。

 現代医学の難病やガンの治療のために、わざわざこの小さな医院を訪ねる方も多いそうだ。でも、もし知らない人が行くと、さまざま妖しげなグッズや、飾ってある曼陀羅などに、ある種のいかがわしさを感じるかもしれない。もともとは、京都府大の大学病院で免疫学の先生だったようだが、西洋医学だけでの限界に触れて、東洋医学を始めとして、さまざな取り組みを始めれたようだ。たとえば、この先生の「ガン」への取り組みは、以下のHPで読むことができる。http://www.gan-jiten.com/store/06/post_13.html

 今日も、オーリングもあれば、ダ゙ウジング(かな? ぼくは門外漢なので間違っているかれしれないけど、水晶のようなストーンを振り子にしながら、いろいろと言葉に出して、波動を調べてられる)もある。連れ合いがはまっているホメオパシーとか、コウケントーなんかもOKなので、カーボン番号まで、「3001、3001、4008、4008…」なんかいいながら、振り子の乱れで、「5000番と3002番ですね」と言われた。最近は、パワーストーンというのか、宝石光線療法なるもにも力をいれておられる様子だ。

 ぼくの症状の原因を、食べ物や、洗剤、せっけん、シャンプーなどいろいろと調べられたが、やっぱり、食べ物だそうだ。特に、マーガリンなどの植物性の油は、先進国では禁止されているところもあるのでNG、あとは甘いものや乳製品、加工されたハムやウィンナー、油であげたものも合わないようだ。漢方薬の飲み薬と塗り薬がでて、あとは、オーガニックの亜麻仁油を勧められたので、購入した。

 圧倒されるほど、妖しい魅力満載。いわゆる、補完代替医療と呼ばれる分野なのでしょうが、西洋医で、ここまで真剣に治めておられる方は、まだまた少ないようです。あんまり、そんなことをも知らずに来ましたが…。世間には、それもご近所に、まだまだディープな濃い濃い世界が拡がっているんですね。

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2009年7月 5日 (日)

広島家庭法座(1)

   夜9時前に、京都駅に着き、コンコースに出て、エッと驚いたことがある。

 「なんて蒸し暑いのだろう」。

 もう夜なのに、ムシムシしている。我が家に帰ってきても同じだ。1階の生活空間では、普段、クーラーなど使わない。それだけに、余計、京都独特のムシムシ、ベタベタした暑さが実感させられる。

 7月の第一日曜日は、高宮町のY家での広島家庭法座だ。

 いつもの広島法座よりも、ちょうど2時間早く家を出て、10Img_6211時30分に広島駅に集合。ジャンボータクシーや自家用車に分乗して、安芸高田市高宮町 のY家へ向かう。
 広島市街地を都市高速で結ばれた丘陵地を切り開いた広大なニュータウンが広がっている。まだ造成途中、高層マンションも見える。そこから中国縦貫道にはいると、周りは緑の一色の山の中を70分ほど走って到着した。周りは田んぼだけの米どころなのだが、山あり、川ありの自然豊かな場所だ。

Img_6207 毎年、7月第1週目に行なうことで、すっかり恒例になっている。もう5年目だ。遠方なのに、30名以上のお参りがあった。
 (例年、玄関から撮っているが、ことしは裏手からの撮影)

 暑い時期なのに、明け放たれた縁側から、川面から流れる風がとてもさわやかで気持ちがいい。クーラーがなくても、暑くない。さわやかなのだ。京都駅に降り立って実感したが、体感的に緑の少ない京都の街中より、5度以上は涼しいだろう。緑が多くて、かえるが鳴き、トンボやツバメも飛び交っている。開け放しにしていても、都会のように蚊に苦しめられることもない。

Img_6195  はちすは、少し咲きだしたところだ。あまりうまくとれなかった。一昨年は、見事に咲いていた。Y家の様子もわかるので、参考までに。→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_4606.html

 おいしい昼食をいただいて、法座まで少し時間、Img_6196_2 ご近所探訪。まわりは田んぼなのだが、建物といえば、Y家の他は、裏向いが旧町役場、真横が市立のホールと図書館しかない。大きなハコモノに囲まれているので、ますます広々とした感じがする。

Img_6214_2   お!これはストーンヘンジか。謎のストーンのオブジェを、裏手で発見! なんだろう?

 さて、本題だ。ご法話は、「凡夫が仏に成る」。

 仏教は、転迷開悟の教え、つまり仏に成ることを目指している。その文脈でいうと、凡夫が仏に成るのが、浄土真宗ということになる。しかし、これがなかなか難しい。「仏」も「成仏」も誤解され、誤魔化され、いちばんの要が、曖昧に聞かれているのである。

 法話は、そのところに焦点(要)を当ててお話したが、その後の座談会(ご示談)も、焦点がキッチリあたって、個人的にはいいご法縁だった。如何せん、朝からの移動もあって、いまはどっと疲れた。今夜はこのぐらいで終わる。
 なんか夢の中にいるような長い1日でした。

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2009年7月 4日 (土)

七夕音楽祭~ご近所歴史探訪編(1)~

Img_6181   今日は、毎年恒例の東寺保育園の七夕音楽祭。とうとう、下の子も年長となりました。

 でも、例年と違うところがある。

 それは、校舎の立て替えで仮住まい中。講堂が狭くて、二部制の演奏会となった。二部は、10時30分スタートで、年少、年中、年長と進むから、まあ、11時ごろでもいいかなーと思ったけれど、念のため、10時35分ごろに到着。ところが、もう歌声がしている。どうも、早く進行しているようだ。ほどなく、わが子たちの登場。講堂が一杯で、中に入れず、ドアの外から見学。でも、実は、一昨日、所用で、早いお迎えに行ったときに、ちょうどリハーサルの最中で、早めに見学してしまった。おかげで、立ち位置が分かっていたので、ビデオはバッチリ。練習が厳しい分、なかなか統率がとれている。コースラは、アッという間に終わり、後は少しお楽しみ会があって、結局、40分ほどで早めにお開きになった。それにしても、この時期の成長はすごいなー。わが子ながら感心させられる。

 ところで、ここは、東寺から西へ、羅城門と西寺跡のちょうど中間にある、西山(せいざん)派のお寺の敷地にある。すぐ近くを、東海道新幹線が走っているが、周りはお寺やお墓がやたら多い。以前、保育園をされていたので、狭いながらも、設備は、一応揃っている。

 ちょっと早く終わったので、あまり知られていないご近所の歴史探訪。

Img_6185  世界遺産として登録されている東寺、特に「五重の塔」を知らない日本人は少ないだろう。しかし、創建当時、その対の官寺として栄えていた「西寺」(さいじ)なるものがあったことを知っている人は、案外、少ないのではないか。ましてや、その跡をわざわざ訪れる観光客は、まずは稀だ。

 もちろん、西寺は現存しない。西寺跡Img_6184として児童公園になっていて、小高い丘に、西寺をしのぶかのように、2本の大木と碑文が立っているだけだ。やはり、東寺同様に、壮麗さを誇って大寺も、徐々に勢力が衰え、天福元年(1233年)には五重の塔を焼失。その後、再建されることなく歴史の舞台から姿を消していったという。周りには、大きな礎石も点在している。その周りで、子供たちが虫取りをしながら遊んでいた。

Img_5636   この西寺跡から、九条通りを、自転車で2分も行くと、有名な 「羅城門」跡がある。平安京の九条大路跡、都の南の端に位置している。早くに荒廃し、その後、鬼が棲むついき、鬼退治の逸話は有名だ。そして、芥川龍之介の小説「羅生門」、さらに黒沢明の同名映画もあって、世界的にその名は知られている。しかし、西寺同様、ここも見逃されるようにひっそりとしている。ほんとうに小さな公園に、申し訳程度の碑文と、解説版が残っているのみだ。実は、この碑文も、1895年-平安遷都1100年を記念して立てられたもので、歴史は浅い。しかも、歴史的には「羅城門」を「らじょうもん」と読んでいるが、城を「じょう」と読むのは、わりと最近のことで、本来は、「せい」と読み、このあたりの地名も、来生(らいせい)といっていたのが、転じたものだというのだ。いずれにしても、かって、この地に朱雀大路の南端に壮大な門があったとは、ちょっと想像しがたい。

Img_6191_2  この羅城門跡の入り口、九条通に面したところに、矢取地蔵という祠がある。
 1100年前の天長元年に、空海(弘法大師Img_6192 )が、神泉苑(二条城のあたり)で雨乞いの祈祷を行い、見事、3日3晩、雨が降ったそうだ。だが、そのときがライバルだった守敏(しゅびん)僧都に妬まれ、矢を射られたというのだ。しかし、その身代わりに矢を受けたのが、このお地蔵さま。何でも背中に傷があり、これがそのときの矢傷だという。いまや、ほんとうに粗末な小さな祠なのだが、やたら由緒はありがたそうだ。

 ちなみに、その守敏に、与えられたのが西寺。空海は、もちろん東寺だったのだから、これはかなり出来すぎの話。とにかく、二人の法力(神通力)合戦は、いまでも、格好のスピリチュアル系のネタになっている。

Img_6193  そして、この羅城門から東へ、やはり2分足らずで、東寺がある。国宝の「五重の塔」は、高さ約55メートル。もちろん、現存する木造の五重の塔としては国内最大だ。

 それにしても、現代でも東寺だけでも立派なのだが、ここに羅城門を挟んで、西寺にも五重の塔を含む大伽藍があったのだから、実に、壮観な風景が広がっていたのだろう。

 いまなお、この角の交差点は、名神高速道路のICを経由して国道1号線が京都市内へと続く、京の入り口に位置している。もっとも、昔は鳥羽街道からの入洛だったのだろうが、この道を通って、数々の歴史は作られてきたのである。

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2009年7月 3日 (金)

『アライブ』~生還者~

  京都みなみ会館で、『アライブ』~生還者~を観た。

Ala  この事故の奇異さは、子供だったぼくも、シッキングで、センセンショナルな話題として、心に残っている。この究極のサバイバルは、たぶんにスキャンダルの部分のみが誇張されていたのだと思う。

 1972年10月の南米ウルグアイの航空機(正確には軍用機仕様)が、アンデス山脈で墜落した。山岳地での墜落に、生存者の確率は低かった。しかし、実際は、機体はバラバラになりながらも、大雪のために爆発や炎上を免れて、胴体がソリのようになって、雪上に投げだされていたのだ。その時点で、客乗員、45名の内、32名もの生存者がいた。彼らは、良家の子弟が通うウルグアイの大学ラクビーチームのメンバーと、その家族や友人たちだ。さいわい、無傷のものも多い。上空を航空機が通る。みな、すぐに援助は届くと確信していた。しかし、いつまで待っても援助はこない。そのうち、重症が次々と死んでいくという絶望の状況が襲いだす。援助も手当てもできぬまま、肉親が自分の手を中でこと切れていくのだ。それは、人の死ではない。食料もなく、一面ただただ広がる雪原と険しい山だけの、現実が広がる。彼ら以外に、生きものの気配すら皆無の厳冬の世界。それは、まさしく明日の自分自身の姿にほかならない。

 そして、10日後、絶望的なニュースが彼らに届く。唯一の情報源だったラジオが、捜索打ち切りの情報を流したのである。

 彼らはさいわい若かった。しかも、ラクビー選手としての体力もある。脚力ある数名が、救助を求めて出発した。しかし、たった一昼夜の野宿ですら、九死に一生を得るのごとくのありさまで、失敗に終わる。何一つの装備もなく、6m~10mの大雪の中、5000M級のアンデス山脈を、地図もコンパスもなく、そしてまったくあてもないままに、救助を求めることは、無謀以外の何者でもない。しかし、その無謀な行為以外に、彼らが助かる術はないのてある。(南半球の気候なので)春の訪れまでは、あと2ケ月は待たねばならない。

 さらに彼らに不運が襲う。17日目の夜、突然、雪崩がおきたのである。一瞬にして、機体ごと雪に飲み込まれて、リーダー役を含め8名が犠牲になる。

 墜落事故や雪崩で、多くの仲間が亡くなる。しかし、その死に規則性はない。まさに、アットランダムに襲って来るかのように見える。真横で、たったいま談笑していた友人が、そして後ろの座席で安からに寝ていた妹が、次ぎの瞬間には、もうこの世の人ではなくなっているのである。それは、人知で、生存者と、死亡者を峻別した基準を見つけ出すことはできないことを、彼らはまず痛感させられたのたのである。

 そして、その後も、寒さや食料不足で、体力を失い、亡くなるものが現れる。唯一の希望はあてのない援助の遠征隊を送り出すことだけだ。しかし、何度か命懸けの遠征が繰り返されては、ベース(機体胴体)にもどる失敗が続くのだが…。

 しかし、遭難から70日後、まさに奇跡がおこる。10日間ものあいだ、山岳での厳しい野宿をしながら、ただひたすら歩きつづけて、5000M級のアンデスの山々を何度も超えて、とうとう援助を求めることに成功したのである。

 遭難から72日間、16名(事故直後の生存者の半数)の男たちが、驚異的な生き残りを果たしたのである。

 まさに、現代の奇跡に、マスコミも、社会も色めきだつ。救助を求めて、フラフラになっている生還した男たちを待っていたのは、容赦ないカメラの砲列である。すぐに、興味本位のインタピューが始まった。「食料も皆無の状態で、72日間も、どうやって生き残れたのですか?」と…。

 奇跡的な生還のシーンは感動的だ。実際に、映像に残る、72日目に、援助のヘリコプターが到着した瞬間の、遭難者たちの喜びの表現をみているだけでも、涙が出るほど感動する。

 しかし、この事件を有名にしたのは、実は別にある。

 ~カニバリズム~

 そう、草木1本生えない極寒の環境で、食料の絶えた彼らは、死んでいた彼らは仲間たちの肉を食べ、骨を砕いて生き残ったのである。

 映画は、生存者の30年後の証言と、その証言をもとにした再現ドラマに、実際のニュース映像で構成されている。特に、この人肉食までのプロセスが興味深い。(映画を見なくても、上記にリンクした公式HPの生存者の証言者を読めば、その一端がわかる)。食料も尽きていく、援助のあてもない絶望的状況で、誰もの頭の中によぎっていた考えを、初めて口に出し、提案する。それが、頭の中の考えから、実際に行動となるまでのプロセス。そのそれぞれに葛藤や苦悩があり、いつしか神の恩寵(キリストの聖餐)として正当化されていく過程-それが、宗教的に昇華されたかどうかは分からないが-が、なんとも興味深いのだ。

 それにしても、人肉をガラスの破片で捌き、筋肉を取り、その断片を初めて口に入れ(当然、火もなければ、香辛料もない。生で食べる)たり、カルシウム不足で、その骨を砕き、磨り潰して飲み込み話を、淡々と、冷静に話す姿に、ある種の感銘を受ける。そんな彼らの最大の楽しみは、食後の「歯磨き粉のデザート」(そのものをなめる)。これが、美味で、かつ貴重のものなので、数ミリずつ分かち合い、時には争いにもなったそうである。

 実際、ヌクヌクとした食料の溢れたこの環境の中で、彼らを裁き、非難することはたやすいが、まったく無意味なことである。
 しかしながら、現実は、現代の人類にとって、最大のタブーを犯した彼らは、マスコミや社会の偏見と奇異な目に晒され続けることになるのである。

 神-人-動物を厳しく峻別するキリスト教の文化圏に比べると、仏教・儒教文化圏のアジアでは、多少の罪悪感が異なる気がする。たとえば、『水滸伝』などには、人肉饅頭や、切り刻まれて人を食そうとするシーンが、当たり前のように何度も登場する。子供心に奇異さを覚えながらも、ぼくの最大の愛読書だった。最近、篤く読んだ北方版『水滸伝』には、人肉饅頭屋は登場せず、このおどろおどろしさが半減しているのだが…。おっと、そちらに流れるとまたまた語りだすので、本論にもどるが、現代においては、洋の東西を問わず、人類最大のタブーであるには間違いない。

 もともと仏教においては、単に、人肉食だけでなく、生きとし生きる一切の有情を殺生したり、食することを禁じている。しかも、

 「山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思う」(行基菩薩)

 そう、いま、食卓に並ぶその魚は、まぎれなくも、「世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」なのである。しかしながら、悲しいことに、迷いの目には食べ物にしか映らず、今日も「うまい、まずい」と平気で、過去世の父や母を共食いしているのである。私の行いは、自分の心の善悪の理性で納まるほどきれいごとではすまない。まさに、「さるべき業縁の催さば、いかなるふるまいもすべき」、この恐ろしい身で、父を食らい、母を食らい、仏を食らって生きているのである。

 いま、話題になっている脳死の臓器移植の問題点にもどこか通じる話題だが、どんどん横道に逸れてきたので、今夜はこのあたりで。

 とにかく、いろいろと考えさせられる映画だったというとこで…。

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2009年7月 2日 (木)

華光誌発送と、週末法座の案内

 華光誌68巻2号の発送作業。

 いつも3名の京都同人か、仏青の方にお願いして、6名で作業する。ただ、今日は、いつものメンバーと顔ぶりが違っていた。久しぶりの方、初めての方、中には、数十年ぶりの華光誌のお手伝いかもしれない方もおられた。6名いると、4時間足らずで作業は終わる。お疲れさまでした。

  休憩にお茶を飲む。水無月が出た。別にここに書いたからではないが、助っ人の方のお手製だった。おいしかった。2日遅れだけどね…。

 なお、華光誌には、

1)今年も華光会館である、7月31日~8月3日の『仏の子供大会』の案内状

2)9月19日、20日、21日の福井での『聞法旅行』(北陸同人との交流法座)の案内状

さらに、3)『念仏の雄叫び』の広告と10月3日の東京講演会の小さな案内の3枚が、同封されているので、お確かめの上で、せいぜいご参加ください。

  週末までにはお手元に届くでしょうから、お楽しに!!

  ついでに、今週末の予定はシンプル。日曜日に、華光会館と広島支部の法座。

聖典講座華光会館):7月5日(日)昼1時30分~5時↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/seiten2009-7.htm

広島支部法座(安芸高田市):7月5日(日)昼1時~5時↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/hirosima2009-7.htm

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2009年7月 1日 (水)

浮浪者

 「お父さん、すぐ来て! 早く、早く」

と、連れ合いの緊迫した声が聞こえる。

 「どうしたの?」と、すぐに部屋から出たら、彼女が、あわてて応接間のドアを施錠している。そして、怖そうな声で、

 「変な人が玄関に入ってるわ。何かくれといっている」

 やれやれ、またか。その時間、たまたま事務所は誰も不在だった。こんな時は、男がでないといけない。

 玄関には、老いた浮浪者が立っていた。上は、ランニングシャツ一枚。

 顔を観るなり、「先生、熊本が出てきました。お金がなくて困ってます。食べてないです。何か恵んでください。お願いします!」と、「先生! 先生、お願いします」と、拝みながら、哀れな目でみている。

 普段、京都駅を根城にしている人たちが、内外国の要人や貴人が駅を利用する前に、一斉に取り締まりが行なわれる時などに、このあたりにまで浮浪者が流れて来ることがあるのだ。特に、ここはお寺なので、「雑用でもなんでもするので、お金がほしい」とか、「何か食べ物を恵んでください」とか、時には、「東北の○○に帰る金がないので、必ず返すので(返ってくることはない)少し用立ててほしい」とか、さまざまな形があるが、とにかく金の無心にくるのだ。ひどいものになると、予め電話で「相談したいことがあります」と予約をいれて、金を借りにきたこともあった(この人は、拘置所をでたばかりの暴力団を名乗って、最後は脅してきた)。それ以上に、二人組の芝居のはいったものもあった。

 どう対応するかは、その都度である。追い返すこともあるし、食べ物を恵むこともある。何がしかのお金をボケットマネーから渡したこともある。ぼくが子供のころには、台所にあげて食事を食べさせたこともあった。

 でも、基本は、静かにお帰りいただく。でも、今回は、たまたま食パンがあったのでそれを渡したら、「エー、あのお金は」と言った。もうこの時点で、ダメ。どうせ、呑み代か、パチンコなどに消えるのは分かりきっている。きつく叱って、追い返した。この人、たぶん、二度目なんじゃないかなー。

 それにいまは、インドで、哀れな物乞いにひつこくつきまとわれた。いっそうの哀れみを請うために、子供の時に親に指などを切っている者も多い。ほんもの(?)というか、プロというのか、そこまで徹底した人をたくさんみてきたので、やっぱり、これもただ哀れみだけではなく、何かこちらが出したくなるだけのサムシング・エルス(Something Else)がほしいものだと思った。その意味では、今日の人は、いま一つ勉強不足か。

   いずれによせ、強く追い返しても、また何がしかのお金を与えても、勝手に入ってこられた薄気味わるいのと、そして、いつまでも後味が悪さが伴うわのは、事実だなー。

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2009年6月30日 (火)

トラブル

  終日、ココログで障害が発生し、どこも閲覧も出来ない状態が続いていた。午前中に、メンテナンスがあるとの告知があったが、それは予定を少しオーバして、午後1時に終了したとの記述が出ている。でも、ぼくのところは、閲覧も、書き込みもまだ出来ない状態が続いていて、「メンテナンス中」との表記。

 ご承知のとおり、先日、華光会Hpからの閲覧する時にトラブルが発生したところだったので、ちょっと心配したが、これは完全にブロバイザーの問題だ。3年前にココログを始めた頃も、ここはよくトラブッていたが、いまもトラブルがたまに起こる。どうにか、閲覧の方は夜には解消したようたが、管理ページへのアクセスは無理で、書き込みが出来ない状態。もう今日は諦めようと思ったが、コメントは入りだして、夜10時前にはほぼ回復した模様。でも、携帯からは今もまだアクセスできないようだ。やれやれ。

 ほんとうは、1972年10月の南米ウルグアイの航空機(正確には軍用機仕様)が、アンデス山脈で墜落事故が発生。捜索が打ち切られ、食料もない厳冬の山岳地で、72日間(2ケ月半だ!)も、生き延びた驚異のサバイバル生活と、その裏 にあった現代人(特にキリスト教圏内)の最大のタブー(アンデスの正餐)を、生き残った16名の男達の35年ぶりの証言をつなぎあわせたドキュメンタり、『アライブ』~生還者~に触れる予定だった。とにかく、壮絶。かつ考えさせられるが、これはまた後日。

 ほんとうは、たいへんなトラブルが2件あったが、まあそれは機会があれば……。

 そうそう、もう630日。2009年もちょうど半分! それにしても、蒸し暑いなー。Img_6179和菓子屋さんに水無月が並んでいた。なんとも涼しげ。6月の和菓子の代表だ。といっても、今日のおやつ違った。かわりに、結婚式の引き出物でいたいだ、レモンケーキを食べた。別に涼しげではないが悪しからず。

 華光誌か完成してきた。発送は7月2日。お楽しみに。

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2009年6月29日 (月)

ポカ

 1年一度の東海支部の蒲郡法座。

 新幹線を利用する法座では、断然、名古屋は近い。37、8分で到着する。

 新幹線の座席に座って、法話の教案を調べようと荷物をみたら、ファイルが見当たらない。一瞬、ドキッとした。いやいや、カバンの中じゃなくて、土産用の紙袋に移したんだと思って、棚から紙袋を降ろす。でも、入っていない。もう一度、カバンを確かめてみたが、やはりない。「あ、どうしょうー」。

 記憶を蘇らす。

 確かに一度はカバンに入れた。それは、ハッキリと覚えている。そうそう、初めての方が参加されるので、その方用に法座案内と、パンフレットも持っていこうと事務所に取りいった。子供大会のチラシなどと一緒に、教案のファイルにいれようと出した。でも、もう一度入れた。ここまではハッキリ覚えている。でも、次ぎに法衣を入れたら、ちょっとグチャグチャになったので、荷物を一端出して、つめ直した。そこもまだ覚えている。でも、そこからが時間が迫ってきて、バタバタしだして、記憶がない。そうそう、荷物のあった部屋に忘れ物はないのを確かめている。そうか、玄関だ。新幹線の中ですぐに出せるように、紙袋の方に入れ直そうとして、ついでに、聞法旅行のチラシのコピーもあったので入れようと戻った。きっとその時じゃないかなー。いや、待てよ、もしてかて……などとハッキリ思いだそとしたが、思いだせない。第一、いくら正確に思い直したとしても、忘れたものはもう戻らない。玄関先だろうが、部屋だろうが、いまはないものはないのだ。

 それより、いまの対応だ。どうする? グルグル頭の中がめぐりだす。

 電話して、FAXを入れてもらおうかとも思ったが、今日の教案は、信巻の「アジャセ王の廻心」のところを現代語訳で読むのがメーン。量が多い。

 M家に、「聖典」はあるから、現代語訳がなくても物語を追い掛けることは出来る。でも、あの訳の言葉がいいのだから、それではちょっと残念な気もする。ほかの教案にするか。いや、M家に、現代語訳『教行信証』があれば、なんの問題もないんだ。でも、あるかなー。F家なら間違いなくある。一応、寺院でもあるので、M家にもあるだろうが、ない時はどうしょう。一応、対策を考えておかんとなー。その場合は、『歎異抄』の第2章にするか。でも、皆で輪読するには、テキストのコピーが必要だし、すぐに、「サークルK」にコピーに走ってもらわないかんなー。いや、やっばり今回は、そちらは無理かー。

 もうあると信じよう。現代語訳さえあれば、別に問題はないのだから…。

 でも万が一ない場合はー。なにか顔ぶれみながら、別の教案を話そうか。その時は、向こうで考えたらいいか。このところの味わいをまとめてもいいしなー。でも、一応、メーンになる話は、どうする。熊本で話したら、「タネ」の話しでもいい。ああ、あれにするのならネタ振りの小道具もってないなー。

 もういろいろと頭がめぐる。

 昔、よく父は、法話の枕詞のように、「多忙で、法話が考えらなかった」から、法話が始まっていた。ほんとうに、いつも恒例だった。ぼくも、それを真似たのか、同じことを言っていた時期があった。確かに行事の前にバタバタして、たいへんだったのは事実だが、あるとき、あまりにも毎回だと、皆さんに失礼な気がしてきた。だから、いまは自分の事情などを言い訳にするのは、よほどでない限りはしたくない。まあ、そんなときもあるだろうが、与えてもらった貴重な時間なのだから、たとえうまく考える時間がなくても、うまく組み立てられなくても、「忙しかった」を言い訳にしたり、甘えたりしないで(もっと前から準備をしない、自分に責任があるのだからなー)、そんなときでも、精一杯、お取り次ぎをさせてもらうしかないと、腹を括るようになったのだ。

 そう思うと、まあなんとかなるだろうという気がしてきた。そうして、散り散りに考えめぐらすうちに、名古屋駅。それから、同じ時間、在来線に乗るのだが、もうその時は、持ってきた新書を読むことにした。

 こんな時、携帯がないのはちょっと不自由だ。到着して、M家でいちばんに尋ねた。「本山からでている、現代語訳『教行信証』ある?」。 「えーと、あると思いますよ。」との返事。おお、希望の光り。一緒に、本棚を覗く。ある、ある! なんと、ソフトカバーに、ハードカバーものもと、2冊も所持されている。聖典シリーズは全部そろっている。さすが、エライぞー。見直しました。

 こうして何事もなかったように、ご法話は済んだのでした。
 おしまい。

 おーい、内容書けよー!

 ちなみに、ファイルは、玄関先の下駄箱の上に、しっかり、くっきり残っておられました。法座案内や子供大会のチラシと共に…。

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2009年6月27日 (土)

チャペルでの挙式

Img_6104 博多での同人の結婚式に出席して、さっき帰ってきた。

 子供大会出身者の九州縁者4名と、ご一緒した。

 長いお付き合いの中で、気が置けない仲間だ。顔みるなり、「また会ったなー」と、お互い笑った。確かにー。熊本、京都、広島、そして福岡と、4週続けて顔を合わせている。

 生まれて初めて、キリスト教式の挙式に出る。

 これまでの結婚式は仏式ばかり。もちろん、神前式をあげImg_6117_2 た方の披露宴から出席したことはあるのだが、挙式はない。かなり世間とは逆だろう。

 もちろん、法衣、念珠で、ホテルのチャペルにはいった。今回は、新婦側の主賓でお招きいただいているからだ。

 また若い、日本人の神父さん。長髪で、なかなか男前。自然な笑顔でフランク、しかも堂々と、わかり易く説明をされた。やんわりと禁止事項(携帯や私語、そしてすべての撮影)も話される。皆さんが、新郎新婦と心をあわせて、厳粛なムードを作っていくのである。ホテルの中とはいえ、神聖な場所だ。ぼくとしとは滅多にないことで残念だっだのだが、撮影禁止をうまく言われたところは、なかなかきっちりされていた。

 一言でいうとすごく慣れておられる。たぶん、ルーチンの繰り返しなんだろといったら身も蓋もないが、聖書の言葉も、吉野弘の「祝婚歌」を引かれた短い説教(ぼくは真宗の方の説教でも、この詩を聞いたことがある)も、言葉ではなく黙祷を進められたりするのもわかり易くて、かなり好感をもった。その態度がさわやかだ。

 勉強になった。ぼくも、見習って長髪にしよう!(いまさら無理か)。

 となりで、S子が大声で「賛美歌」を歌っている。知ってるのかと思ったら、まったくムードであわせているだけで、コーラス隊と合わずに、はずれまくっている。その隣が法衣姿のぼくだ。まったく、変な組み合わせ。そのS子も、さすがに「アーメン」とは言わなかった。

Img_6126 ぼくの式でのあいさつは、羽栗先生の、ぼくたちを生を、ご恩のあとを振り返ることなく、だだ前を向いて走る列車にたとえた話。前ばかり見て進んでい るが、でも、その行き先はしらない。いま、まったく違う路線を入っていた二人の線路が交差したわけだが、結局、「死ぬ」ことに向かって、いまがよければよいと生きていても空しい。その行き先を定めさてもらわImg_6124ないなとー、といった内容かなー。

 留め袖姿の新婦の母親のジャズピアノの生演奏 での新郎新婦の入場。最後の新婦のあいさつも感動的。いろいろな経験を経てImg_6141 聞かせてもらう、親のご恩徳。 

 今夜は京都で途中下車の身。

 明日は蒲郡での東海支部法座にImg_6176 出かける。

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