「笹の墓標展示館」全国巡回展・準備会合

  会合(会議)に出席のために本願寺聞法会館へ。夫婦連名で案内が届いたが、連れ合いには外せない用事があり、ぼく一人で出席。北海道深川市の殿平先生から「これが最後の仕事になります」とのコメントが添えてある。高校時代からお世話になり続けている連れ合いが黙っているわけはない。ぼくは、その後、真宗カウンセリング研究会の月例会の担当があったので、それまでの時間参加することにした。 ~強制労働犠牲者の史実を伝える~「北海道・笹の墓標展示館」全国巡回展(大阪・京都) の京都会場の最初の会議である。午前中は大阪の津村別院で、午後からは本願寺の聞法会館へ移動しての会議だったらしい。会場では、殿平先生を囲んで、若い皆さんが具体的な展示の相談中。どうやら全国巡回展の中心メンバーらしい。まったく何のことか分からないまま、場違いな場にいる居心地の悪さもあった。会議室に移動すると、信楽ゼミの先輩の顔があって安心。この...

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聴聞不足~言葉に囚われる~

 土曜日、名古屋での「東海支部法座」、日曜日は「広島支部法座」、そして翌日は祝日で「華光誌輪読法座」。3連休は連続法座で、「聴聞不足」をテーマに、東海と広島はご法話をし、京都では華光誌の巻頭言を輪読して、分かち合った。  法話の内容は同じ素材でも、前日の法座でのエピソードが加わることで力点が変わっていった。その都度、その都度の皆さんの反応のおかげで、ぼく自身も改めて理解や味わいが深まっていったし、メンバーが変わることで、こんなにも反応が違うことに驚かされたりもした。  ただ、どこにもずいぶん偏っていた聴き方をしておられる方がおられる。とことん自分のこだわりを大切に、そこで教えのよしあしを判断されているのである。残念ながら、その聴き方では、百座、千座の聴聞もなんの役にも立たない。約立つととか意味があるを第一に、しかもその基準がすべて自分の方にあるのだから、いくら聞いても仏法にはならない。仏法...

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祇園祭(先祭)宵々山で、美味しいお酒を呑む

   今年は、3年ぶりに宵山や山鉾巡行が行なわれることになった。 一時は、減少傾向にあった新型コロナが、ここに来て急増する気配だが、通常開催されることになった。ただ、ぼくは週末の三連休は、東海(名古屋)~広島~京都(輪読法座)と法座が続き、後祭は福岡での法座と重なる。今年はご縁がないかなーとあきらめていたら、思わぬところからお誘いがある。 6月から、四条高辻にあるメキシコ料理店でバイトを始めた下の子が、宵山期間の3日間、屋台で売り子をするというのだ。祇園祭よりも娘の働く姿は見逃せない。 ということで、昨年から着物教室で研鑚を積み、先日、見事、師範(立派な看板)となった連れ合いは、浴衣を来て、宵々山に繰り出すことにした。さて、3年ぶりとはいえコロナ禍だ。たぶん、例年に比べれば、人出は少な目ではないかと予想していた。実際、地下鉄は混んではいたが、例年ほとの雑踏で身動きとれないというほ...

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『悟痰録』最終回

 今、華光会で販売している『悟痰録』には、貴伝名博著『春風吹かば』と尾上実著『悟痰録』の二編が収められている。今は、大先輩同人である尾上実さんの信仰体験記である『悟痰録』を輪読しているが、今月が最後だ。伊藤先生の書かれた手紙から、一気に、最後まで読み終えた。  褌(ふんどし)担ぎが無謀にも横綱にぶつかるように、何度も何度も、倒されて転び、そして起き上がってはまた倒されるを繰り返す求道の心境の描写は、24、5歳の青年の筆とは思えない。主には伊藤先生だが、おみとさんや同時代の同人にも叱咤激励されながら、時には自暴自棄になり、時には勇猛果敢にぶっかり、または冷静沈着だったり、あきらめたり、または率直に、自分の心境を語ったりと、とにかくあの手この手で求め続けておられる。  しかし、後生の夜明けはなかなか明けない。尾上さんも諦めないが、そこには、親身に、時に厳しく突き放しなからも、決して妥協せずに伝...

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壮年の集い~法にかける執着~

 壮年の集いの印象を一言でいうと、懇親会が楽しかった。会館での懇親会は3月から再開している。今回は同世代の気楽さもあるが、2年ぶりにお会いする方やコロナ以降で初懇親会など、再開ムードの楽しさもあって、全体にも高揚感があった。個人的には、最後の方にある先生からの問いに心を奮い立たったからだ。 「先生は、毎週、毎週、法座の連続で、『今日は行きたくないな』ーとか、虚しい気持ちになることはありませんか」 というような問いだった。意外だったのでその質問の根のところを聞き返した。華光同人といえども、真に分かち合える法友がほとんどいない。下手をすると、自己満足の独りよがりの法座で終わってはいないか。参加の皆さんが、「よかった、よかった」と喜んだとしても、単なるご縁のところ、今生のところで終わっているのはないか。そんな意味内容だっただろうか。  改めて、問いをわが胸に落としこんでみる。 確かに、体調の悪い...

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東寺の蓮

 散歩に東寺まで出かける。東寺の蓮池の蓮がきれいに咲いていた。例年より少しだけ早い気がする。  今年は、史上もっとも短く、また早く梅雨が開けたようで、6月下旬から7月にかけて一気に猛暑が始まった。京都も38度台を記録した。気温自体は、例年の夏にも達するのだか、この時期にこの猛暑。夏は、これからが本番なのに。この先、どうなるのかが心配だ。  蓮は、これから見頃になる。週末の「壮年の集い」でも皆さんにお伝えしよう。早朝ならもっときれいだろう。 <鷺と蓮↑> <夕焼けも見事>...

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突破口

 とにかくブログが滞っている。  昔のように小まめにかけていない。一カ月に31日連続ということもあったのが、ウソのようだ。せめて法座くらいはきっちり報告したい思っているのに、なかなか進まない。 いい加減なことは書けないし、あれもこれも書きたいと思うばかりで、結局、遅れに遅れて、7月に入りやっと6月のことを書くという有様。その6月分も中途半端のうちに、7月も27日になっている。  最近は、こんな繰り返しが続いて、頭では分かっていても、なかなか進まないのである。結局、何も間に合わないまま人生を終えていくのだろう。でも、何か間に合わせたり、意味を見いださなくてよくなった分、それはそれで気楽で、有り難いこと。それを突き詰めてると、キッパリと止めてしまってもいいのだろうが、煮え切らない。ここにまだ執着があるのだろう。わかちゃいるけど、やめらない。  こんな愚痴を書くと、不思議と前に進むのも同じパター...

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「ブッダのお弟子さんたち」展

 龍谷大学ミュージアムに「ブッダのお弟子さんたち」展を観に行く。同展は2020年に開催直前で、新型コロナ感染拡大で中止になった展示だ。   釈尊のお弟子と言えば、十大弟子が有名だ。特に指定された経典があるのではなく、伝承によって10名で、2.3名は出入りはある。それでも、舎利弗、目連、大迦葉、富楼那、須菩提、羅ゴ羅、阿難各尊者などの上足の仏弟子はだいだい同じ顔ぶれである。  歴史的に観れば、釈尊の成道の後、鹿野園(サールナート)での初転法輪の相手である五比丘からブッダのお弟子は始まる。彼らは、以前、共に修行したお付きの弟子でもあったが、釈尊が苦行を捨てた時、堕落したと非難して離れていった。が、釈尊がお悟りを開き「この境地を伝えたい」と思った時、すでに二人の(瞑想の)師匠は亡くなっており、彼らならばきっと聞いてもらえると思った人達である。その後の経緯は有名なので省略するが、仏教の始まりは...

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支部長研修会~支部長の役割~

 支部長さんに新しい顔が増えてきた。一回りして再度ベテランが受け持つ支部もあるが、主は、初参加者や2回目の方で、新鮮な顔ぶれだ。  喜んでばかりもいられない。これまでの支部の成り立ちや背景などの学びがなく、十分なレクチャーがないまま引き受けておられる。支部長研修会の意味も分かないまま参加していると、正直に話しくださる方もある。その率直さが有り難った。とにかく支部長を決めたいと、丸投げしている支部があるようだ。そして2年ほどで、次の新人にバトンタッチでは十分な引き継ぎもできない。多くの皆さんに役割を担ってもらうことは大切だが、支部長の役割がいかなるものかを時間をかけて学んでもらう必要があるのではないか。それだけ支部長という役割は大きい。  そもそもなぜ、各支部法座が行なわれているのか。その支部が起こってきた経緯は? そこすら理解されていない支部長もおられる。即、実践しながら学びもいいが、2年...

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伝通院を散策

 朝、少し早起きして、ホテルから会場に向かう途中の無量山伝通院に立ち寄る。  伝通院(でんづういん)は、文京区小石川の高台にある浄土宗の寺院。正式名称は、無量山 伝通院 寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)という。徳川家の菩提寺だ。  室町時代の浄土宗第七祖聖冏上人の開基で、本尊は源信(恵心僧都)作とされる阿弥陀如来だ。 <歴代住職の墓所↑>  徳川家康の生母・於大の方の法名伝通院殿にちなんで、伝通院となった。ちなみに、徳川家康の菩提寺も浄土宗で、有名な芝の増上寺だ。徳川家(特に江戸時代初期)ゆかりの墓所でもあり、立派な墓石が並んでいる。 <家康の孫で、秀忠と江の長女。 豊臣秀頼に嫁ぎ大阪の陣で救出された千姫のお墓↑> <家康の生母・於大の方↑> 他にも高名な作家や文化人のお墓があったが、ぼくが知っているのは、作家の佐藤春夫氏と...

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6月の東京支部法座

6月の東京支部法座。 真宗法座の集いから1週間。まだその余韻が残っている。今回の世話人が、真宗法座の集いに参加され、参加者による今、今の心境告白の機会に深く感銘を受けられ、みんなが率直に声を出す機会を、東京支部法座でも持ちたいとの提案を頂く。ぼくも、その良さを味わい提案に賛成した。 日頃、関わりながらも、もう一声聞きたい。気になっている方の違う角度から話してもらいたい。もし、今、どこに留まっておられるのか、率直に声をだし、ありのままを話してもらいたい思った。加えて、東京に集う同人には、もう一歩踏み出してもらたいとの願いがある。だいだいが自称「獲信者」(たぶん)に属していると思われるが、どこで喜んでおられるのか。Aさんにも、Bさんにも、そしてCさんにも、Dさんにも、Eさんの声を聞きたかった。 もう一つは、分級座談会での発言がよく分かっておられないと思われる方が増えている。ただ正解を並べたり、...

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真宗法座の集い~体験告白からのグループ分け~

  真宗法座の集いは、少人数(20名)を厳守し、全日程参加を原則としている。少人数のグループに分かれて、座談会をじっくり行うことに意味があるので、法話もない。信・未信に関わらず、それぞれが自分の課題をもって臨み、創造していく法座だ。  コロナ禍でも休まずに開いていたが、やはり人数は少なめだった。今年は久々に定員まで集い、懇親会の参加も多くて盛り上がった。華光会館での公式な懇親会(非公式ではあったが)は、やっぱりいい。徐々にではあるがもとの形態に戻りつつある。ただこの3年間、参加しなくなった人の出足は戻らない。このままフェイドアウトしていかれるのだろうか。それではあまりに寂しい。  さて、今回の集いの進行は予想外の展開となった。毎回、グループ分けに時間がとられる。無駄に見えても、それぞれの居場所を確かめていくことに意味があるプロセスだ。ただ、2日間という限られた時間の中では、長時間、相談が続...

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