華光誌作業終わる

  法座が続く中で、華光誌の編集作業が進行していた。  今月中の完成には、今日が印刷所に渡すタイムリミット。一応、昨日中に、作業は終わっていたので、今日は余裕があった。最後にザーと、ボーと眺める。けっこう少し距離をとるようにボーと眺めることが必要だ。最後の最後に誤字発見。「コロナ禍」とするところが、「コロナ渦」になっていた。しかもタイトルである。同じく目次も間違っていたまま印刷されるところだった。  今回は孤杉先生の誌上法話に感銘を受けた。今年の永代経で2座続けてお取次ぎいただいたのだが、その時も、まるで増井悟朗先生のお説教を聴いているかのようであった。しっかり要をご相続いただいていることもうれしかった。『疫勵の章』は別名「勅命の章』ともいわれる。前席では、私の悪業煩悩のお話であったが、紙面の都合でここはカット。後席は、同じ業でも阿弥陀様の方。阿弥陀様の大願業力のお働きについてである。ぜひ...

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「山伏済度」(3)~修験道~

 さて、本段は、山臥(山伏)の廻心なので、「修験道」も話題にする。といっても、ぼくもほとんど知らないが、3年前に聖護院のご門跡の宮城泰年猊下と、トラベルサライさんの主催の「インドの夕べ」という集いでお話を窺うことがあった。宮城先生に興味をもって、何冊か修験道に関する本を読んだ。特に、宮城泰年、田中利則、内山節著の『修験道という生き方』(新潮選書)が面白かった。一言でいうと、日本人の身近な存在でありながら、何も知っていないということだ。そして、これまで加持祈祷というまやかしで民衆をたぶらかせてきた弁円さんのというイメージが払拭された感もあった。  身体性のもつ猥雑さを嫌い、定着しない行動力は、権力の規制の外にあり、そして民間習俗ではあっても民衆との距離は近いことは、権力にとっては邪魔な存在で、何度も規制の枠にはめ込もうとし、近代には弾圧の対象になって禁止されている。民衆のために、民衆聖として...

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「山伏済度」(2)~山臥・明法房~

 さて、主役は、有名な山伏弁円である。山臥・明法房が、弁円と表わされるのは江戸時代の『正統伝』に、山伏の名が「弁円」と記載されて、このエソードが有名となるからだが、もともと『御伝鈔』にはその名はなく、聖人が命名された「明法房」と出ているだけだ。 「播磨公弁円」と名のり、筑波山地の修験道を束ねる存在であった。聖人と出会いは、聖人が49歳、弁円が32歳の頃か?(実際の往生の歳とは合致せず)。回心の後は、地域の門徒の中心的な弟子の一人だったことが、聖人のお手紙から窺える。二十四輩の19番目、上宮寺の開基。建長三(1251)年にご往生。68歳頃か?。兵庫県宍粟市山崎町にも墓があるのは、母方の出生地であるといわれる。  廻心懺悔の後に詠まれたという歌には、深い味わいがある。  「山も山、道も昔にかわらねど、かわりはてたる わが心かな」  また、親鸞聖人の『御消息』(お手紙)には、重複した内容だが、明...

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『御伝鈔』第三段「山伏済度」(1)

 今月の『御伝鈔』は下巻 第三段「山伏済度」の段。下巻は七段に分かれるが、利他の徳、機の真実を顕すとみていいが、その中心、この段にある。親鸞聖人の対人的態度を窺う上でも、意味のある一段で、この視点は真宗カウンセリングの独特のものであって、この段の真意をさらに深まりをもって味わうことができた。  まず「分科」で、この段を四段に分けて窺った。  第一段は、「聖人 常陸国 ~ 信順の族はおほし」。 「稲田での布教」の段で、親鸞聖人が稲田草庵を拠点に専修念仏(雑行雑修自力の行を捨てて、一心に本願を信じて専ら念仏すること)を弘められると、誹謗する人は少なく、信順する者が多かった。  第二段は、「しかるに一人 ~ うかがひたてまつる」 「害心の山伏」の段で、一人の山伏が、念仏が弘まることをよく思わず、聖人を害せようとした。  第三段は、「聖人 板敷山 ~ 奇特のおもひあり」 その山伏が「板敷山での待伏...

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広島支部もZoom法座

 広島カウンセリング、九州支部法座に続いて、広島支部法座もZOOM開催となる。九州支部の朝座と同じく、餓鬼についての法話。『往生要集』の現代語訳を読み、それにもとづいたスライドを見てもらった。やはり餓鬼の生々しい映像に感じる方も多かった。  座談会に入って、食法餓鬼をテーマにした次号の巻頭言を読んでもらう。九州支部のあとで、再考し書き換えた原稿だ。巻頭言は、字数が決まっているので、増やした分だけ削らねばならないが、その分、テーマが明確になってきたのではないか。食法餓鬼とは黒いからだで、雨のように泣きながら野を越え、山を越え,法座を求めて走るまわる。でもなかなか法座に出会えないが、やっと思いで法の声を聴いていのちをつないでいるという。もっとも今日の食法餓鬼は、自動車や新幹線で移動して、ホテルに連泊して法を求めているから、随分、贅沢になったようだ。  ZOOMでも座談会は、面白かった。(頭で作...

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通夜~素晴らしい法名~

 華光の先輩同人が、また一人ご往生された。ZOOM法座を終えて、大阪で開かれたお通夜にお参りする。仏法聴聞の上でも、ご相続やお勧めの上からも、またカウンセラーの資格を取得された学びの上からも、華光同人のお手本のような存在であった。  世間的に言っても、生きざまも、その死にざまも、まったく見事な100歳での大往生だ。しかし真宗の上からはもっと深い意味がある。長寿であったことや、死にぎわの見事さではなく、平生、元気を時に、しっかりとお念仏に会われて業魂のお葬式をすませたお方、つまり平生業成の人が、ついに往生の素懐をとげられたのであるから、ほんとうの意味での往生「おめでとうございます」である。  法名は、「諦聴院 釈尼聰耳」。いやこれには参った。これほど見事に、故人の生きざまを現わした法名があろうか。  まず院号の「諦聴」とは、釈尊がこれから大切なご説法が始まるぞ「諦かに聴け」と、キーとなるお言...

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「仏書に親しむ会」のこれから

 「真宗安心一夕談」に入っている。第二章の第十八願文、註1を読む。質問は出ても、この文章のおさえや、展開はない。前回から丁寧に質問に答えている。今回もそうだったが、詳細な説明(ほとんど法話)をすると、皆さんは喜んでくださる。しかし、「安心一夕談」そのものからを読みといたものかというと、少し違う。  もともとこの集いは、「伝道研究会」という枠だった。先生方や司会役の方、もしくは意欲的な方が、教義でも、また伝道・布教の観点で、実践の立場から意欲的に学び、提起したり、意見交換する集まりだった。  それが長年の間に参加者が固定化し、しかも2、3めいなってしまったので、近郊の同人で意欲のある方に門戸を広げることになった。悟朗先生の「安心論」を読み進めていったが、ぼくからの解説、もしくは法話という雰囲気で終始して、研究会という名目は意味を失っていた。それはそれで意味はあったが、一方的に講話でも、難しい...

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九州支部もZoom法座

 計画では、広島から直接、九州(大分もしくは福岡)に向う予定だったが、コロナ感染拡大でそれもなくなった。九州支部はコロナ感染拡大を理由に中止にならないと思っていたが、会所がコロナの影響を受け直前に中止が決定。第5波の感染は身近に迫っている。支部長さんに提案してZOOMで開催してもらう。参加できない方もあるが、九州組に加えて、広島や名古屋、横浜、高山、そしてアメリカからの参加もあり、Zoomでもいい法座になったのではないか。  午前中は、餓鬼について、『往生要集』の現代語訳を読み、それにもとづいたスライドを見てもらう。これはZOOMならでは手法で、餓鬼の生々しい映像に感じる方も多かった。餓鬼の中でも食法餓鬼を問題に、次号の巻頭言も読む。「くれ、くれ」と求めるばかりではなく、一度は身を差し出せとの一文に、では私の何を差し出すのか。みんな頭で作った正解が並べられる。が、ここは身を捨てる体験に出な...

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ZOOM広島真宗カウンセリングWS

  9月の広島での真宗カウンセリングワークショップ。その直前に広島にも緊急事態宣言か発令された。世話人の間では、感染対策を十分にとれば開催はできると考えていたが、参加者の中にはさまざまな事情があって欠席が増え、今回は中止と決めた。緊急の中止は西日本豪雨以来。、致し方ないとは思うが、たいへん残念だった。  代わりに、ZOOMでの開催に移行するので、案内文を急きょ作成した。この1年半、ZOOM法話や座談会にも慣れてきた。少人数での座談会の経験もあるが、2~3時間程度で、今回のように、朝、昼を通して7時間を2日間行うエンカウターグループは初めてだ。世話人を含めると10名も参加があり、初めての方もおられる。大半が1年に1度、ここでお会いする方々である。この長時間のZOOMグループはぼくにも初の試みで、うまくいくかどうか心配だった。ワークショップではなく「交流会」と名付けて、取りあえず1日だけの開催...

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真宗カウンセリングと聞法の集い 案内 (2)

 真宗カウンセリングを中心にした聞法の集いの案内の続き、補足です。  【サイコドラマとは?】 創始者のモレノ (1892年ウィーン生) が、1922年に始めて、アメリカ発展します。 Psychologyの「サイコ」=「心理」と「ドラマ」で、心理劇となりますが、行動の 面からみれば即興劇です。 意図=私たちの人生は様々な人間関係が作り出す数々の出来事で成り立っています。 それは私たちが人としてのあり方を学ぶために、社会の中で体験していく重要なプ ロセスといえます。サイコドラマは、私たちが抱えている様々な問題の整理や、新 しい視点による解決の方向を探り、新たな一歩を踏み出す機会を創り出します。 華光会では、昭和40年(1965年)頃から法座で取り入れられ、仏青大会では、定番 の名物企画でした。膠着したマンネリ聞法や、観念的...

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真宗カウンセリングと聞法の集い 案内 (1)

   真宗カウンセリングと聞法の集いの御案内   真宗カウンセリングを中心にした聞法の集いを開催いたします。本来、真宗の聞法は、身をかけて聞くものです。ところが、儀礼が中心になったり、知的理解に留まったり(もしくは逃げたり)、感情の表出(カタルシス)の満足で終わる場合もあります。改めて、この身をかけた体験的な聞法の場を、参加者で創造していきたいと思います。といっても、特別に難しいことをするのではありません。それぞれの悪業の身ひとつをご持参くださり、その身をかけて聞かせていただきましょう。  冒頭、私が考える「真宗カウンセリング」((Dharma-based person-centered approach) に関する入門講座を持ちます。「カウンセリング」というニュアンスから生まれるさまざまな偏見が、少しでも解ければと願っています。その後、よりよい自己表現のための「こころの天気」の実習、メー...

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『御伝鈔』稲田興法(3)~追体験~

  さて、『御伝鈔』には触れておられないが、『恵信尼消息』などから越後より関東、常陸国稲田までの親鸞聖人の道程と、事跡を追ってみた。聖人が直接は語っておられないが、浄土真宗の上でもたいへん重要なことが含まれている。  改めてその道程であるが、◎越後(新潟・国府流罪の地)→信濃(長野)善光寺→上野(群馬)佐貫→武蔵(埼玉)→下野(栃木)→常陸(茨城)下妻から稲田  建暦元(1211)年、聖人39歳の赦免後も、しばらく越後国に留まられている。法然聖人亡き京都ではなく関東に赴かれいる理由は、一つ前の文章で触れた。その道程を『恵信尼消息』で辿ってみると、興味深いものがある。建保2(1214)年、42歳にすでに関東に移住されているのだが、まず、流罪地の越後国府から南に向かい信濃国(長野県)へ。善光寺への参詣や善光寺聖との関連が強く推測されている。上野国(群馬県)の佐貫にいたって、ここで飢餓などの悲惨...

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